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旅するように暮らそう!

そして、生活するように旅をしよう!企業経営11年目、岩佐大輝の記録。

ローカルビジネス界の異端児 2人が語る世界への挑戦<後編>

話題沸騰中”九州パンケーキ”の生みの親、村岡氏が山元町のイチゴワールドへやってきた。ローカルを食ビジネスで盛り上げる2人の起業家の対談。

<前編はこちら>

[写真] パンケーキを焼く村岡氏


岩佐)せっかくなので、会場からも質問を頂きましょうか。

男性)九州を盛り上げるビジネスをしようと考えた時に、そもそもなぜパンケーキを選ばれたのか、もう少し詳しく聞かせてください。

村岡)ミックスの開発を始めた当時、東京ではパンケーキブームでした。ハワイの某人気パンケーキ店のオーナーさんと親しい間柄でして、ハワイ側から日本のブームを見ていたんですね。だからこれからはパンケーキ、というかハワイブームがくるなと。当時、テレビでも雑誌でもパンケーキを特集していましたよね。僕は一つの仮説を持っているんですが、圧倒的にカルチャーレベルまで根付くものというのは、言語変化するんですよね。つまり、20年前の1997年にスターバックスが銀座に初上陸してから、コンビニにラテの商品が並びましたよね。「マウントレーニアラテ」というのを皆さんご存知ですか?これ、発売から20年経って、中身がラテなのかカフェオレなのかコーヒー牛乳なのか、違いが分かる人っていますか?また、うちの20代のスタッフに「喫茶店に行こうか」というと、カフェと違うイメージのものが思い浮かぶと思います。こうやって言語変化するんです。10代20代の人たちが「パンケーキ」と言い始めて、これはホットケーキでなくパンケーキが広まるなと思いました。その時に僕は全てのスーパーに行って調査したんですが、パンケーキミックスが一つもなかったんですよ。だから僕がそこにパンケーキを並べようと。

岩佐)パンケーキブームはすごかったですが、いずれ終わるだろうなとみんな思っていましたよね。でも意外とマーケットに定着している。一過性のものと、ブランドとして定着するものとの違いを聞いてみたいです。

村岡)店舗は飽きられていきますよね。いわゆるパンケーキショップは飽きられます。圧倒的に力のあるものが投資をすれば、力のないものは淘汰されていく。スターバックスが広がっていき、次々と上陸してきたカフェは消えていっています。でもコーヒービジネスはそこから深化していって、サードウェーブなど今すごくいい形で残っていますよね。それと一緒で、パンケーキカフェやパンケーキメニューはもう行列はなくなっています。どんなに人気のパンケーキショップも、夏くらいには並ばなくなるかもしれません。でもパンケーキという言葉は残っていく。それがさっき言った言語変化なんですよね。つまり概念としては残る。

男性)パンケーキと何かのコラボ商品を作るのは面白いなと思っています。いろいろな候補があると思うんですが、これとやるのは面白いという具体的なアイディアはありますか?

村岡)パンケーキはある意味、プラットフォームなんですよ。世界中に持って行って、その土地の農場を訪ねてそこにあるいいものと組み合わせて作ることができる。今は、東北の素晴らしい農業と組み合わせて作りたいですね。これは本当に万能なミックスで、パンも焼けるしクッキーもやける。なのでその土地の農業と組み合わせて何ができるか、料理人の感性としては、肉とか野菜とか含めいろんなものと組み合わせることに興味があります。日本は小麦をほとんど自給していましたが、経済合理性上輸入が増えて今は小麦の自給率は30%くらいです。でも東北でも北海道でも、日本中でまだ小麦を作っているんですよね。小麦は僕らが昔から食べているものなので九州パンケーキは一つのモデルケースだと思っていて、例えばお茶の産地で採れる小麦と組み合わせて、抹茶パンケーキを作ってもいいと思うんですよ。それで小麦の自給率が上がったら面白いですよね。

岩佐)ちなみにパンケーキミックスの市場規模はどれくらいあるんですか?

村岡)全国で200億円くらいですね。小さいです。例えばコーヒー市場は1兆3000億くらいあります。焼肉屋のマーケットは8000億円くらい。47都道府県のスーパーマーケットで割ると、パンケーキミックスの売上はスーパー一店舗あたり1か月1万円くらいです。僕らはそのマーケットのだいたい1-1.5%を乗せているくらいのものです。僕らはシェアを10%、20%取ることを目的としているわけではなく、僕らが新しい概念としてパンケーキミックスをどれだけマーケットに乗せられるか、ということに関心があります。もっと言うと、パンケーキミックスがどれだけ大きく広がっていくかということだけに興味があるわけではなくて、さっき言ったように何かと組み合わせて横展開していくことなんですよね。ミックスがあれば例えばイチゴと一緒にご家庭に届けるようなビジネスを展開できます。それにはレシピが必要ですから、地元のパティシエさんに協力してもらって、レシピと一緒にミックスを届ける、そうすればミックスだけではなく、イチゴやパティシエさんのマーケットが広がっていくわけです。

[写真] GRA岩佐もパンケーキ作りに挑戦

男性)村岡さんと岩佐さんも、地域をどうにかしたいという想いが最初にあると思うんですが、その今のビジネスを続けていって、地域と人にどうなってほしいという想いがあるのか聞かせてください。

岩佐)山元町は人口1万2000人くらいで、震災前はだいたい1万6000人くらいいたので、20%くらい減っています。おそらく余程大きな成功か間違いかが起こらなければ、この町は確実になくなる、という状況なんです。普通にやって町がなくなるくらいだったらなんでも挑戦しよう、というような環境が地方には必要だと思います。
最近は行政も地方の挑戦を後押ししていて、リスクをとる自治体にはどんどんお金が入るようになっています。だから地域のあるべき姿は、リスクをとって思いっきり何かに挑戦するという雰囲気が町にできることかなと思います。僕の責任は、若い生産者や学生とたくさん話をして、たくさんの起業家が育っていくこと。そして、山元町に必ずしもいなくてもいいですが、山元町に本社を置いて何か自分でスタートしようという人が育ってくれることが、僕の町や人に対する想いです。


村岡)僕も、同じくチャレンジしてもいいという文化を作りたいんです。僕は実は小学生のときは吃音障害があって、母音が出なかったんです。だから日直の時に「おはようございます」というのがすごく緊張して、泣きながら学校から帰っていました。で、28歳の時には会社を潰してしまっていて、もうこれで終わりなんじゃないかと思っていました。でも今こうやってみんなの前で話をするときには、僕はいつも、小学生や28歳の頃の自分を後ろに座らせているんです。で、話し終えた後に、その時の自分を抱きしめるんですよね。大丈夫だよ、と当時の自分に言ってあげるんですよ。だってこうやって今、人の前で喋れているじゃないですか。小学校の時の自分は本当にビルの上から飛び降りようとしたし、28歳の時には言われなきことで蹴られたり殴られたりしましたよ。
真面目なやつほど商売で失敗して、未だに大きな借金を背負っている人もいるし、中には命を絶ってしまった人もいる。でも、挑戦していいんですよ。こんな時代だから。このままだったら山元町はなくなるわけです。このままだったら宮崎もなくなるわけですよ。どんどん一極集中していって、東北は仙台に、九州は博多に集約されていっていくわけです。福岡の人たちが、「九州は一つ」と言っても、宮崎の僕はしらけるわけですよ。地方の小さい町の小さな会社であっても挑戦していいし、もし失敗した時にも、地方のみんながお互いに肩をたたき合って、次に何やるの?と言い合えるような文化を作りたいなと思います。

岩佐)徳川家康みたいですね。家康は武田信玄にぼこぼこにやられたときに、その時の自分の肖像画を描かせて置いていたらしいんですね。それを見て反省したり、自分に優しくしたりしていた。もしかすると宮崎から本当に武士のような人が生まれたんだというような気がしました。では最後の質問。

男性)僕が村岡さんの名前を知ったのはパンケーキではなくMUKASA-HUBというプロジェクトでした。宮崎の廃校を買って起業家のハブにしようとしていると思うんですが、MUKASA-HUBを何故作ろうと思ったのか聞かせてください。

村岡)小学校って買えるんですね、みなさん(笑)九州パンケーキが成長し始めた時、僕は倉庫を探していたんですよ。そしたらたまたま小学校が売りに出るらしいと聞いて、見に行ってみたら、夕日を浴びてすごく綺麗だったんですよ。蛇口が光っていて。僕はその場で携帯を取り出して、会社の経理に小学校を買おうと思う、と話しました。最初の計画の何倍もお金がかかって今苦しいんですが(笑)何をやるかと言うと、一つは九州パンケーキの配送拠点にするんですが、持て余したスペースにはコーワーキングスペースを作って、みんなで地域のビジネスを考える場所を作り、二階にはうちのオフィスだけではなく、地元で新しい産業を起こそうとするようなベンチャーの起業家たちに入ってもらって、そこにビジネスコミュニティを作ろうかなと思っています。
実は僕にとっては久しぶりの経験で興奮しています。僕は10代の頃には古着のバイヤーをやっていて、30代の時にはタリーズコーヒーを始めました。タリーズは今日本で700店舗くらいあるんですが、実は日本のフランチャイズの第一号契約を取りました。今あの時の興奮があるんです。スターバックスが80年代から90年代にアメリカで一気に広がっていって、ものすごいムーブメントを起こし、90年代後半から2000年代には日本でもカフェカルチャーが広まりました。
これから、コミュニティの在り方の再編成が起こります。先週シリコンバレーにいって確信したんですが、一つのコワーキングという概念が、全国ものすごい勢いでスタートします。単なる場所ではなくて、たくさんの面白い人達が集まってきて、それが全国で繋がってネットワーキングしていって、必要とする人やモノやお金をボーダーレスに共有できるようになる時代が来る予感がしています。
僕は南九州のMUKASA-HUBを九州の拠点にしようと思っています。もしかしたら東北の拠点が山元町になるかもしれないし、そこにはレストランやカフェが集まるかもしれない。これからは行政とか県境に影響されないようなビジネスの枠組みが生まれてくると思うんですね。むしろ行政がその場所を後付けで利用するようになってくると思います。

岩佐)日本は本当の意味でのコーワーキングスペースは少ないんですよね。単なるオフィス貸しにすぎず、コワーキングの概念は、自分にない力を持っている人と出会えるような、人と人が繋がっていくことなんですよね。そんなのものがもっと増えればいいなと思います。


村岡 浩司
有限会社一平 代表取締役。1970年宮崎県宮崎市出身。1966年から続く老舗寿司屋の二代目社長。高校卒業後に渡米し起業。帰国後も小売卸業や飲食店などを開業し、2001年にはタリーズコーヒーの九州1号店を開店。2012年には九州パンケーキミックスを開発し、九州や台湾をはじめ国内外に展開、熱狂的な支持を得る。現在も「一平寿し」、「タリーズコーヒー」、「九州パンケーキカフェ」など多数の飲食店舗を経営する。

ローカルビジネス界の異端児 2人が語る世界への挑戦<前編>

話題沸騰中”九州パンケーキ”の生みの親、村岡氏が山元町のイチゴワールドへやってきた。ローカルを食ビジネスで盛り上げる2人の起業家の対談。

[写真] 一平代表 村岡氏(左)とGRA代表 岩佐(右)


岩佐)九州パンケーキは、世界的にも有名になっているパンケーキミックスのブランド名で、九州の材料だけを使って作っていてすごく美味しいんです。今日は社長の村岡さんに九州から来て頂きましたので、皆さんぜひ拍手でお迎えください。

村岡)ありがとうございます。九州パンケーキの会社は「一平」という名前で、もともとは寿司屋を営んでいて、今年でちょうど50年を迎えます。父親が先代社長で私は2代目なんですけど、14年前に父が他界したのをきっかけに後を継ぎました。宮崎県内でカフェや飲食店をやっていて、4年半前にはこの九州パンケーキミックスを開発して、今一生懸命広げる活動をしているところです。
コマーシャル映像で原料と産地の名前が流れているように、九州全県から素材を集めてパンケーキミックスを作っています。僕はもともと寿司屋ですが、ちょうど板前がネタ帳を集めるようなイメージですね。宮崎では綾町というところの農薬を使わずに育てられた合鴨農法の発芽玄米を頂いたり、熊本の菊池からは古代米の黒米を、また福岡の糸島というところは、日本の稲作伝来の場所と言われているんですが、そこの赤米を頂いたり。九州全県旅をして一つずつ良い材料を集めていく。そうやって九州パンケーキミックスを作っています。

岩佐)もともと一平寿司という今も続いているお寿司屋さんだったんですよね。一平寿司はすごく有名なお寿司屋さんですけど、なぜ村岡さんは九州パンケーキを作ったんですか?

村岡)地方で生き残っていくってなかなか大変じゃないじゃないですか。僕は商店街の活性化とか地域活動をずっとやっていたんですが、頑張ってもなかなか人は増えないし、空き店舗は増えていきます。30代後半の頃は一年間で述べ300回くらいイベントをやっていました。でも「宮崎一番街商店街」って誰も知らないでしょ。やっぱり、一人の人間や商店街の人間がこれだけ情熱と人生をかけてやっても、なかなか人には伝わっていかない。僕は事業家でもあるので、そこにはビジネスが必要だと思いました。それも、一つの宮崎という場所を売るだけでなく、九州という地域を一つにして売っていきたいという想いがあった。
パンケーキを始めたきっかけですが、宮崎で2010年に口蹄疫という牛の伝染病が流行りました。東国原知事の時ですね。非常事態宣言が出て移動も制限され、僕ら飲食業にとってはお客さんがいなくなり本当に苦労しました。その後も新燃岳が噴火して、町中灰だらけになり、それから鳥インフルエンザも流行りました。2011年に東北では東日本大震災が起こりましたが、九州ではちょうど3.11後に、博多から鹿児島まで九州新幹線が開通したんです。そのおかげで九州は西側が盛り上がってきましたが、東側の宮崎はずっと取り残されていて、経済が停滞していた。自分自身は生き残りをかけて、何か外でも稼げるようなビジネスをしたい。そしてどうせチャレンジをするのであれば、地域を盛り上げられるようなビジネスをしたいと考えて、九州パンケーキを作りました。

岩佐)今地域創生のための色々なビジネスの取り組みがありますが、意外と日本全国で上手くいっている事例は実はほとんどないんですよね。その中で九州パンケーキはこれだけ国内で成功していて、海外でも展開しています。地方創生は行政としてやる方法もあれば我々のようにビジネスの領域でやる方法もありますが、村岡さんはビジネスの領域でどのようにして上手くいったのか、何かコツはありますか?

村岡)さっきローカルビジネスの異端児という紹介がありましたけど、異端児と呼ばれる人自身は異端児とは思っていなくて、普通のことをやっていると思っているんですよね。食品業界でいうと、「県境」が一つの課題だろうなと思います。僕は寿司屋でありカフェオーナーであり、そこからメーカーを立ち上げていくという、まったく違う分野に外から参入していますが、その時に、県の縛りにみんなすごく苦しんでいるような気がしました。国から県や市町村に配分された助成金を申し込んだのですが、僕が言われたのは、「これが『宮崎パンケーキ』だったら助成金を出せるんだけどね」ということです。でも、九州パンケーキは宮崎の会社であって、九州のプロダクトを使っていて、九州の雇用も生み出すことができます。僕はこの時葛藤しましたが、行政からの援助をどう利用するかという以前に、自分が何を生み出したいのか、ということが大事なんですよね。
僕は今日イチゴ狩りに来ているお客さんにパンケーキを3時間くらい焼いていたんですけど、自分がお客さんのために作ってお客さんがすごく嬉しそうに食べてくれるのが、すごく楽しいんですよ。寿司屋でもそうですが、お客さんに食べてもらいたいというのがモチベーションなんです。ミガキイチゴのビジネスもきっと同じで、東京、日本中、世界中で今売る努力をしていますが、きっと最終的にはここのハウスに来てもらって、目の前でお客さんが嬉しそうにイチゴを食べている、その体験を作り出したいんだと思うんですよね。

[写真] パンケーキを作る村岡氏。その前には大量のミガキイチゴを手にしたお客様が大行列だ。


岩佐)そうですね。僕は2011年にGRAを作ったんですが、僕の実家はこのすぐ近くで、近くの中学、仙台の高校に通っていました。2011年に震災が起きた時、故郷を何とかしたいという強い気持ちでここへ戻って来たというのがきっかけです。何をやりたかったかというと、僕には一つの仮説があって、どんなに地理的に条件が悪い場所でも、世界で勝負できる商品、世界の誰にも負けないものがあれば、そこへはどこからでも人が来る、というものです。誰にも負けないテクノロジーと、熟練農家の匠の技がこのイチゴを作っています。その結果、今では国内外から毎年2万人以上の人がこのイチゴワールドへ来てくれるようになりましたし、他のハウスも含めると、山元町には10万人くらい来ているんです。山元町の人口が1万2千人くらいですから、本当にたくさんの人が来てくれています。僕の考えとして、ビジネスで地方創生をやるための一つのキーワードは、人でもサービスでも、世界で勝負できるかどうか、ということだと思うんですが、村岡さんはそのあたりはどうですか?九州パンケーキは台湾にもカフェがありますが、この前行ってみたら2時間待ちで入れなかったんですよ。

村岡)最近、熊本だったら「球磨焼酎」というように、「地域ブランド」という言葉がありますよね。では地域ブランドの定義は何でしょうか?僕は、圧倒的に地元で愛されていることじゃないかなと思うんです。まず地元で圧倒的に支持して頂いて、その町の人が誇りに思えるブランドだからこそ、外側に発信していけると思うんです。九州パンケーキはとにかく九州で愛されたいという思いでこの4年半やってきて、今では九州のどのスーパーでも扱われるようになりました。宮崎の子どもたちは毎朝朝ごはんに九州パンケーキを食べるようになってくれましたし、僕は今学校を回って子どもたちにパンケーキ教室を開いて食育もしています。
まず、地元に愛されたい。そこから自分たちの地域のことを知ってもらいたいという想いで、外側に発信していく。ブランドをローカルに狭く閉じていく。でもマーケットは広く広く狙っていく。僕は九州受け持ちです。九州のことが大好きで九州にしか興味ない。でも九州には僕がいて、一方で東北が好きで東北受け持ちの人がいるから、日本が面白くなっていく。九州受け持ちの僕と東北受け持ちの岩佐さんとがここで出会って化学反応が起きるから、今日来てくれたお客さんがすごく笑顔になって楽しんでいってくれると思うんです。

岩佐)午前中もものすごく熱狂的でしたね。300名以上のお客さんがイチゴ狩りにお見えになって半分以上が九州パンケーキを買ってくれた。九州産のいい材料が合わさって、確実にお客さんに受けるなという感覚がありました。
僕は村岡さん自身の生き方にもものすごく興味があります。村岡さんは寿司が握れて、英語が喋れて、パンケーキが焼ける。世間では村岡さん三大不思議だと噂されています(笑)実際はわかりませんが、最近、若い世代はなかなか内向きになってきていると言われますね。村岡さんは若い頃アメリカで起業していたり、九州パンケーキも台湾などにどんどん展開したりしていますが、今の世代と村岡さんと違いはありますか?


村岡)僕は18歳の時に宮崎が嫌で、寿司屋を継ぎたくなくて海外へ飛び出したけど、どうでしょうね。台湾の九州パンケーキカフェは開業後2年経って未だに1か月待ちという有り難い状況ですが、台湾の起業家たちと話していて最近カルチャーショックだったのは、台湾の起業家たちは初めから台湾だけを見ていないんですよね。そもそも島国で2500万人しかいないので、初めから香港や中国を見てビジネスしています。
九州は人口1500万人ほどです。僕は宮崎の生まれですが、宮崎は新幹線も走っていないくらい取り残されているくらいです。よく「東京でなくてシンガポールや台湾に店を出してリスクはないんですか」と聞かれるけど、宮崎からすると、東京も福岡も、台北もシンガポールも、みんなグローバルなんですよね。じゃあ「日本の九州」を売り出す時に、東京と台湾ではどっちが「日本の九州」というところにレバレッジをきかせられるか?47都道府県とそれ以上の市町村のアンテナショップがたくさん競い合っている東京よりも、台湾の方が熱狂的に「日本の九州」を迎えてくれる。すごくシンプルに勝負をしていると思うんですよね。

岩佐)きっと日本と海外の間にボーダーラインはなくて、マーケットがあるところへ勝負しにいくという、ものすごくシンプルな発想なんですよね。

村岡)そう思います。今真剣に考えていることは、東北と九州が付加価値を交換することで何かビジネスを生み出せないかと考えているんですよね。昨年4月の熊本地震の時に、島の真ん中にある熊本で、こんなにモノが動かなくなるのかというほど、九州が分断されていました。
僕は東北の震災後、2011年8月に初めて福島に来てボランティアをしていましたが、その時僕はちょうどパンケーキミックスの開発をしていたので、九州のミックスとこの東北で出会った美味しい牛乳やイチゴなどを使って、世界一美味しいパンケーキを作りたい、そして日本の色々な場所でカフェを作れないかという夢を持ちました。僕はパンケーキの世界の人間なので、できることは小さいですけど、これは一つの日本の象徴的なビジネスになるんじゃないかなと。

岩佐)パンケーキの面白いところは、イチゴはもちろん何でも合うところですよね。魚の町とコラボしても面白いし、その町のいいもの、人々に愛されるものとコラボしていけば、宮崎みたいに必ずしも行くのに便利じゃない場所もハブになると思うんです。宮崎に九州パンケーキカフェがあるんですが、ここはいつも大行列なんです。宮崎は日本で一番自給が安い県で、県庁所在地の中で沖縄に抜かれて所得も最下位になんですが、場所はほとんど関係ないんです。ビジネスをやるときに、自分の地域は場所が悪い、条件が悪い、と考えると思うんですけど、みなさん旅行に行く時にはどれほど不便な場所でも、そこに面白いものがあれば行くと思うんですよね。自分の置かれている場所で何かベストなものが作れたら、多くの人が集まってくる場所というのは必ずできると思います。山元町も福島との県境で、必ずしもアクセスは良くないですが、ここに居を構えていこうというのは、村岡さんから勉強させてもらいました。

村岡)日本中みんな「誘客」と言っていますね。日本中、どうやってうちの町に観光客を奪い合うかと誘客していますが、「送客」しませんか?地域と地域が結びあって人を送り合うんですよ。この中で10人組んで宮崎来ませんか?そしたら宮崎の人10人でツアー組んで山元に連れてくるので。宮崎のことなら僕がいっぱい知っていますが、山元のことはみなさんが一番知っています。それぞれの町の良さを伝えるには、知っている人に案内してもらうのが一番いい。「送客」というのが、最近面白いなあと思うんですよね。


<後編へ続く>



村岡 浩司
有限会社一平 代表取締役。1970年宮崎県宮崎市出身。1966年から続く老舗寿司屋の二代目社長。高校卒業後に渡米し起業。帰国後も小売卸業や飲食店などを開業し、2001年にはタリーズコーヒーの九州1号店を開店。2012年には九州パンケーキミックスを開発し、九州や台湾をはじめ国内外に展開、熱狂的な支持を得る。現在も「一平寿し」、「タリーズコーヒー」、「九州パンケーキカフェ」など多数の飲食店舗を経営する。

松嶋啓介×岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談<後編>

1月15日、「いちごの日」に毎年恒例のミガキイチゴ・ナイトが原宿のKeisuke Matsushimaで開催されました。オーナーシェフの松嶋啓介さんとGRA岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談(後編)。
<前編はこちら>

[写真] KEISUKE MATSHUSHIMAオーナーシェフ 松嶋氏(左)とGRA代表 岩佐(右)


岩佐)啓介は、今世界に出てかれこれ20年経つと思うけど、海外から見て、ここ数年の日本はどうですか?

松嶋)正直言って、ここ数年の日本は閉塞感しか感じない。

岩佐)日本では、景気が良くなってきたとちょっと言われるようになってきたけど、フランスから見たら閉塞感を感じるんだ?

松嶋)閉塞感を感じますね。今日は一期一会という、出会いを大切にしたイベントが開催されてますけど、普段の生活では、隣の家の人が誰かすら知らない。普段の生活の中で隣や近所にいるすぐ近くのコミュニティよりも、インターネット上で出会う直接目に見えない人との出会いの方が大きくなっていて、非常に寂しいというか、みんなどこに根を張って生きているんだろう、と思う。そういう状況が今の日本で多くなってきていると思いますね。

岩佐)直接的なコミュニケーションの欠如、それ僕も最近一番関心のあるテーマなんだ。ストレスって、人に感謝したり愛情をかけたりすることで少なくなるんだって。感謝の気持ちが多い人ほど、長生きして元気でいられる。

経営者やリーダーの役割って意思決定することだと思うけど、最近はメールやラインでも意思決定するんだよね。でも例えば人を切ったり、面接で人を落としたりすることも意思決定なんだけど、そういうコミュニケーションをメールやラインでやるとそこに愛情を乗っけるのがすごく難しいから、ネット上での意思決定回数が多ければ多いほど、実はリーダー自身が疲弊するんじゃないかなと思う。

普段の仕事でも、例えば僕が勝部くん(GRA若手社員)に「イチゴの糖度をもっとあげるように」と一言だけ、絵文字もなくメールで言い放つと、彼は多分冷たく感じると思うんだけど、彼に会った時に僕がその想いをおもいっきり込めて目を見て彼に言うと、彼も頑張ろうと思ってくれると思うし、自分自身もすごく楽になるように感じる。

だから非言語コミュニケーションとか、ネットではできない直接的なコミュニケーションはすごく重要だと最近すごく思う。アイコンタクトとかタッチとかハグとかもね。


[写真] 松嶋氏創作のミガキイチゴのスイーツ


岩佐)じゃあそろそろ時間なので、最後に、これからのミガキイチゴやGRAについて、食のプロから一言お願いします。

松嶋)本当に言っていいの?(笑)まず、地域を復興させたいという想いが最初にあることが、GRAの一番素晴らしいところだなと思う。僕は東北とはほとんど所縁もなく、九州から東京経由でフランスに行った身で、東北の震災があったときにはすでにこのお店はあり、僕も東京にいました。

東北とはその後に所縁ができて、毎年8月11日に東北12か所で花火大会をやる「ライトアップ日本」というイベントがあるんですが、僕は実はその発起人です。東北とのご縁はそれから作らせていただいて、毎年何か工夫しながらドネーションを集めて花火をあげています。東北が元気になると日本のイメージもどんどん良くなっていくので、そのためには僕自身も花火だけでなく、東北の農産物などに対して、フランスで見てきた海外に対するマーケティングやブランディングのやり方を少しずつ伝えて、共に工夫しながら学べる環境を作っていきたいなと。またフランス政府から農事功労賞というのを頂けたのは実はフランス料理を応援してほしいという意味もあるので、そういう意識を持って、今後もGRAさんとは僕の方からお付き合いさせてください、と思っています。

というか、ミガキイチゴは甘すぎ!(笑)もちろん味も濃くて最高です。

岩佐)甘いイチゴを作るのはとても難しいテクニックが必要。でもミガキイチゴは甘いだけではなく酸っぱさも大切にしていて、「味が濃い」が一番の褒め言葉かな。

松嶋)僕は個人的には小ぶりのミガキイチゴが好きで、甘さと酸味のバランスがとても良くなったなと思います。これからこの農産物を海外に持っていきたいと思った時に、海外のイチゴとどこに差があるのかを見つけて、作っていってほしいなと。ただ単に甘いだけでなく、ミガキイチゴらしい甘酸っぱさを追求しないとだめだと思う。

岩佐)人間関係も恋愛もやっぱり「甘酸っぱさ」がすべてだよね!(笑)




松嶋啓介
1977年12月20日生まれ。20歳で料理の修行のため渡仏し、25歳になった2002年、ニースでフランス料理レストランKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はKei’s Passion)をオープン。地元の食材を用いた料理を提供し、2006年にはミシュランガイドで一つ星の評価を獲得。東京では2009年よりKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はRestaurant-I )(渋谷区神宮前)をオープン。

松嶋啓介×岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談<前編>

1月15日、「いちごの日」に毎年恒例のミガキイチゴ・ナイトが原宿のKeisuke Matsushimaで開催されました。オーナーシェフの松嶋啓介さんとGRA岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談(前編)。

[写真] Keisuke Matsushimaのオーナーシェフ松嶋氏(左)とGRA代表 岩佐(右)


岩佐)以前に僕のブログの「脱ステップ論」というコラムが予想外にめちゃくちゃバズったんだけど、おそらく多くの若者が世界に打って出ることを夢見ているんだよね。今日は「世界に羽ばたく」がテーマなので、そんな話をしよう。


[図] 脱ステップ論


岩佐)啓介は20歳でいきなりフランスに渡ったんだよね。まさに脱ステップ論を体現した人だと思うのだけど、じゃフランス語は現地に行ってから勉強したの?何だかんだ言って言葉ってすごく大事だから。

松嶋)僕はフランスに行く前に、料理単語は全て覚えていたんです。海外でスポーツ選手に料理を作っていたんですが、彼らに「どう言葉を覚えたんですか?」と聞かれた時、「とにかく単語だけを覚えること」と答えていました。すると「どう単語だけで言葉が通じるんですか?」と聞かれるんですけど、みなさんの日本語も多分おかしいと思うんですよね。でも、今僕は「みなさんの日本語もおかしいと思う」と言いましたけど、「みなさんのおかしい日本語」と順番を変えても多分意味は伝わると思うんですよ。相手に聞く耳を持たせることができれば、単語だけを並べても意味は伝わる。僕は、言葉に自信がないという人にいつもこう言うんですけど、まずは相手が聞いてくれる姿勢をどうやって作るか、努力することが重要だと思うんです。

岩佐)聞いてくれるための努力っていうのは、例えばどういうもの?

松嶋)例えば、こういう会場であれば「すみません、静かにしてください!」って言えば聞いてくれると思うんですよ。また、面談させてもらいたいのであれば何か物を持っていくと思いますし、自分が流暢に話せないのであれば、相手が聞く姿勢を作ってくれるように仕掛けて、あとは単語だけ喋れたら問題ないと思います。僕は未熟だからと謙虚でいるのもいいですが、人間って面白いことにおせっかいするのが好きなんですよね。一生懸命話していたら、「それ言葉の使い方間違ってるよ」って教えてくれると思うし、海外に行ったらとにかく相手の懐に入って自分が話しやすい環境を作り、会話しようとしていたと思う。僕がそれを本田くんに教えた時は、彼はオランダ二部リーグのキャプテンでしたが、彼の話す言葉は「ホングリッシュ」と言われてましたね。

岩佐)僕も全然海外の留学経験もないのに英語を使わなければいけない仕事をしているから、今すごく苦労しているけど、テクニックよりも想いとか非言語コミュニケーションが、コミュニケーションの7割くらいを決めるんじゃないかなと思いますね。イチゴを売りに行くときも、誰がどういう想いで作ったものです、というのを必死で伝えると、お店の人もじゃあ少し扱ってみようか、となるんだよね。もちろん言語も重要だけど、その国の人たちの心に入り込んでいくように、しっかり自分の想いを伝える心意気がより重要なんじゃないかと。

そんなことを意識していたら、いつのまにかインドで現地パートナーとイチゴ農場を作ることもできた。インドに出張に行った時に今でも絶対にやるのが、現地のメンバー全員とのハグ。もちろん女性とは握手だけだけど(笑)。


[写真] インドのイチゴ農場にて、現地パートナーたちと岩佐(右から三番目)


ところで、今日のミガキイチゴ・ナイトには農水省から日本食の輸出力強化プロジェクトの担当官も来てくれているんだけど、海外から見た日本食について、何かコメントがあれば。

松嶋)正直に言うと、日本食を頑張って海外へ持っていく必要はないと思います。もうすでに海外には、日本が大好きで日本的なお店をやっている人はたくさんいます。でも日本人からしたら「それは日本食じゃないよね」、というようなお寿司屋さんとかお店がたくさんあると思うんですけど、それも日本食だということを受け入れてあげることが大事かなと思うんです。僕は普段フランスに住んでいますが、日本に帰ってくるといつも、フランス料理は東京には一軒もないと感じます。残念ながら、なんちゃってフランス料理しかない。ということを僕が言ったらどうなるかと言うと、非難轟々です。まあ平気でよく言いますが(笑)。でもそれと同じように、なんちゃって日本料理に対して、「これは日本的じゃないよ」と上から目線で見る日本人があまりに多いと思う。おもてなしを大事にする優しい民族だと自分でも言っている私たちが、他人が生み出したものについては厳しく、おもてなしの精神は全く感じられないので、そういったところから寛容になれば、もう少し早いスピードで日本食も広まるんじゃないかなと思います。あれも日本食だっていうことをまずは受け入れてあげることが大事かなと。

岩佐)今こんな真面目な話しながらこんな変ないちごのかぶり物を被っていてもいいのかなと思ったんだけど(笑)

松嶋)僕はそれも受け入れます(笑)

岩佐)日本人は「カリフォルニアロールは寿司じゃない」とかよく言うじゃん。でも日本食が世界文化遺産に登録されたけど、世界の人が評価している日本食というのは、例えばカリフォルニアロールのような、世界の人が日本食だと思っているものも含めた広義の日本食なんだよね。日本食原理主義だけを海外へ持っていくのは、マーケティングで言うとプロダクトアウトの発想だけど、そうではなく、その土地の人をリスペクトしてその土地に入り込むようにすれば、もっと日本食は広まるんじゃないかな、と思っているんだ。

<後編へ続く>


松嶋啓介
1977年12月20日生まれ。20歳で料理の修行のため渡仏し、25歳になった2002年、ニースでフランス料理レストランKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はKei’s Passion)をオープン。地元の食材を用いた料理を提供し、2006年にはミシュランガイドで一つ星の評価を獲得。東京では2009年よりKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はRestaurant-I )(渋谷区神宮前)をオープン。

絵文字とスタンプをつかいまくってストレスフリーになろう!



最近、予防医学研究者の石川善樹さんと久しぶりに再会したので、ストレスについていろいろ語りました。今日はそこから得られた示唆を共有します。

24歳で最初の事業を興してから15年になります。その間、ストレスが原因でどん底まで落ち込むことが数年おきにあったのですが、最近は随分楽になりました。ある一つのことを意識するようになってからです。

人間は人に対する愛情や感謝の気持ちを表現したり、相手がうまくいくように貢献したりしようとすればするほどストレスが少なくなるようです。つまり心の安定には「自利利他」がとても大切だということです。

「自利利他」とは仏教の言葉のひとつですが、書き下すと「自利とは利他を言う」となります。つまり、人のために何かをすることは自分のためであるし、自分のためを思うならば、人に利することをやることが大切だということです。

逆にどういう時にひどくストレスがたまるかというと、「感謝」や「愛情」の表現なしで意思決定を繰り返さなくてはならない時です。意思決定とは決定するわけですから、時に片一方のアイデアを切り捨てたり、時には人を切る決定もあります。

そのような意思決定を毎日無数に繰り返すのが経営者の仕事です。楽ではありません。しかもそんな辛い意思決定をネット、例えばメールやSNSで365日繰り返しているとあっという間にそのリーダーの心は疲弊してきます。そのうちにダークサイドに陥り、判断のすべてがくるってきます。愛が足りなくなってくるからです。

メールやSNSでの意思決定が辛いのは、それが直接的に会ってそれを伝えるよりも、はるかにその意思決定に「愛情」や「感謝」を乗っけることが難しいからです。それでも語尾を変えたり、言い回しを変えたり、絵文字やスタンプを使ったりなど工夫をすることで随分違うんです。どんな方法でもいいので愛を乗っけるのです。愛が足りなくなると傷つくのは自分自身です。

「欧米で生まれたメールというツールは用件だけを単刀直入に伝えるようにしましょう」という新人研修を直解して、ファクトと用件だけを伝え放つ人があまりにも多いのは残念です。メールはもちろん冗長になるべきではないですが、削るべきは「前略、〇〇様におかれましては、、、お慶び申し上げます」などの下りであって、愛は削ってはいけません。
当然ですが欧米人も感謝の気持ちをメールに添えます。

もしかするとメールには1行ごとにスタンプや絵文字を挿入しても多すぎないくらいです。一文節に1スタンプでもいいかも!それで自分の想いが伝わるのであれば。威厳なども大切なのかもしれませんがそれは、決してメールなどで示すものではありません。

経営者が出社している時間は、とにかく人との直接的なコミュニケーションに時間を使うべきでしょう。出社しているのに、メールやネットをばかりをしていてはもったいないです。私は出張が多いので、会社の執務室にいる時間が本当に少ないのですが、そこにいるときは社員のみんなとのコミュニケーションに集中するようにしています。くだらない話をすることも多いのですが、触れ合っているだけで想いは伝わるものです。

経営者の精神衛生においても、直接コミュニケーションは最高の手段です。メールや書きものは会社では一切やらずに移動時間の間に集中して全部終わらせます。

ストレスに関連することで、経営者が一番意識すべきは「自利利他」です。「愛情」や「感謝」を真正面から伝える、好きな人には好きという。つらい意思決定に際しては普段の倍の「愛情」と「感謝」を乗っける。そして自分とかかわりを持つすべての人の成長と成功を考える(例えその人のことが嫌いであっても)。

すごくシンプルだけどおすすめな習慣です。


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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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