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旅するように暮らそう!

そして、生活するように旅をしよう!企業経営11年目、岩佐大輝の記録。

松嶋啓介×岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談<後編>

1月15日、「いちごの日」に毎年恒例のミガキイチゴ・ナイトが原宿のKeisuke Matsushimaで開催されました。オーナーシェフの松嶋啓介さんとGRA岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談(後編)。
<前編はこちら>

[写真] KEISUKE MATSHUSHIMAオーナーシェフ 松嶋氏(左)とGRA代表 岩佐(右)


岩佐)啓介は、今世界に出てかれこれ20年経つと思うけど、海外から見て、ここ数年の日本はどうですか?

松嶋)正直言って、ここ数年の日本は閉塞感しか感じない。

岩佐)日本では、景気が良くなってきたとちょっと言われるようになってきたけど、フランスから見たら閉塞感を感じるんだ?

松嶋)閉塞感を感じますね。今日は一期一会という、出会いを大切にしたイベントが開催されてますけど、普段の生活では、隣の家の人が誰かすら知らない。普段の生活の中で隣や近所にいるすぐ近くのコミュニティよりも、インターネット上で出会う直接目に見えない人との出会いの方が大きくなっていて、非常に寂しいというか、みんなどこに根を張って生きているんだろう、と思う。そういう状況が今の日本で多くなってきていると思いますね。

岩佐)直接的なコミュニケーションの欠如、それ僕も最近一番関心のあるテーマなんだ。ストレスって、人に感謝したり愛情をかけたりすることで少なくなるんだって。感謝の気持ちが多い人ほど、長生きして元気でいられる。

経営者やリーダーの役割って意思決定することだと思うけど、最近はメールやラインでも意思決定するんだよね。でも例えば人を切ったり、面接で人を落としたりすることも意思決定なんだけど、そういうコミュニケーションをメールやラインでやるとそこに愛情を乗っけるのがすごく難しいから、ネット上での意思決定回数が多ければ多いほど、実はリーダー自身が疲弊するんじゃないかなと思う。

普段の仕事でも、例えば僕が勝部くん(GRA若手社員)に「イチゴの糖度をもっとあげるように」と一言だけ、絵文字もなくメールで言い放つと、彼は多分冷たく感じると思うんだけど、彼に会った時に僕がその想いをおもいっきり込めて目を見て彼に言うと、彼も頑張ろうと思ってくれると思うし、自分自身もすごく楽になるように感じる。

だから非言語コミュニケーションとか、ネットではできない直接的なコミュニケーションはすごく重要だと最近すごく思う。アイコンタクトとかタッチとかハグとかもね。


[写真] 松嶋氏創作のミガキイチゴのスイーツ


岩佐)じゃあそろそろ時間なので、最後に、これからのミガキイチゴやGRAについて、食のプロから一言お願いします。

松嶋)本当に言っていいの?(笑)まず、地域を復興させたいという想いが最初にあることが、GRAの一番素晴らしいところだなと思う。僕は東北とはほとんど所縁もなく、九州から東京経由でフランスに行った身で、東北の震災があったときにはすでにこのお店はあり、僕も東京にいました。

東北とはその後に所縁ができて、毎年8月11日に東北12か所で花火大会をやる「ライトアップ日本」というイベントがあるんですが、僕は実はその発起人です。東北とのご縁はそれから作らせていただいて、毎年何か工夫しながらドネーションを集めて花火をあげています。東北が元気になると日本のイメージもどんどん良くなっていくので、そのためには僕自身も花火だけでなく、東北の農産物などに対して、フランスで見てきた海外に対するマーケティングやブランディングのやり方を少しずつ伝えて、共に工夫しながら学べる環境を作っていきたいなと。またフランス政府から農事功労賞というのを頂けたのは実はフランス料理を応援してほしいという意味もあるので、そういう意識を持って、今後もGRAさんとは僕の方からお付き合いさせてください、と思っています。

というか、ミガキイチゴは甘すぎ!(笑)もちろん味も濃くて最高です。

岩佐)甘いイチゴを作るのはとても難しいテクニックが必要。でもミガキイチゴは甘いだけではなく酸っぱさも大切にしていて、「味が濃い」が一番の褒め言葉かな。

松嶋)僕は個人的には小ぶりのミガキイチゴが好きで、甘さと酸味のバランスがとても良くなったなと思います。これからこの農産物を海外に持っていきたいと思った時に、海外のイチゴとどこに差があるのかを見つけて、作っていってほしいなと。ただ単に甘いだけでなく、ミガキイチゴらしい甘酸っぱさを追求しないとだめだと思う。

岩佐)人間関係も恋愛もやっぱり「甘酸っぱさ」がすべてだよね!(笑)




松嶋啓介
1977年12月20日生まれ。20歳で料理の修行のため渡仏し、25歳になった2002年、ニースでフランス料理レストランKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はKei’s Passion)をオープン。地元の食材を用いた料理を提供し、2006年にはミシュランガイドで一つ星の評価を獲得。東京では2009年よりKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はRestaurant-I )(渋谷区神宮前)をオープン。

松嶋啓介×岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談<前編>

1月15日、「いちごの日」に毎年恒例のミガキイチゴ・ナイトが原宿のKeisuke Matsushimaで開催されました。オーナーシェフの松嶋啓介さんとGRA岩佐大輝の「世界に羽ばたく」対談(前編)。

[写真] Keisuke Matsushimaのオーナーシェフ松嶋氏(左)とGRA代表 岩佐(右)


岩佐)以前に僕のブログの「脱ステップ論」というコラムが予想外にめちゃくちゃバズったんだけど、おそらく多くの若者が世界に打って出ることを夢見ているんだよね。今日は「世界に羽ばたく」がテーマなので、そんな話をしよう。


[図] 脱ステップ論


岩佐)啓介は20歳でいきなりフランスに渡ったんだよね。まさに脱ステップ論を体現した人だと思うのだけど、じゃフランス語は現地に行ってから勉強したの?何だかんだ言って言葉ってすごく大事だから。

松嶋)僕はフランスに行く前に、料理単語は全て覚えていたんです。海外でスポーツ選手に料理を作っていたんですが、彼らに「どう言葉を覚えたんですか?」と聞かれた時、「とにかく単語だけを覚えること」と答えていました。すると「どう単語だけで言葉が通じるんですか?」と聞かれるんですけど、みなさんの日本語も多分おかしいと思うんですよね。でも、今僕は「みなさんの日本語もおかしいと思う」と言いましたけど、「みなさんのおかしい日本語」と順番を変えても多分意味は伝わると思うんですよ。相手に聞く耳を持たせることができれば、単語だけを並べても意味は伝わる。僕は、言葉に自信がないという人にいつもこう言うんですけど、まずは相手が聞いてくれる姿勢をどうやって作るか、努力することが重要だと思うんです。

岩佐)聞いてくれるための努力っていうのは、例えばどういうもの?

松嶋)例えば、こういう会場であれば「すみません、静かにしてください!」って言えば聞いてくれると思うんですよ。また、面談させてもらいたいのであれば何か物を持っていくと思いますし、自分が流暢に話せないのであれば、相手が聞く姿勢を作ってくれるように仕掛けて、あとは単語だけ喋れたら問題ないと思います。僕は未熟だからと謙虚でいるのもいいですが、人間って面白いことにおせっかいするのが好きなんですよね。一生懸命話していたら、「それ言葉の使い方間違ってるよ」って教えてくれると思うし、海外に行ったらとにかく相手の懐に入って自分が話しやすい環境を作り、会話しようとしていたと思う。僕がそれを本田くんに教えた時は、彼はオランダ二部リーグのキャプテンでしたが、彼の話す言葉は「ホングリッシュ」と言われてましたね。

岩佐)僕も全然海外の留学経験もないのに英語を使わなければいけない仕事をしているから、今すごく苦労しているけど、テクニックよりも想いとか非言語コミュニケーションが、コミュニケーションの7割くらいを決めるんじゃないかなと思いますね。イチゴを売りに行くときも、誰がどういう想いで作ったものです、というのを必死で伝えると、お店の人もじゃあ少し扱ってみようか、となるんだよね。もちろん言語も重要だけど、その国の人たちの心に入り込んでいくように、しっかり自分の想いを伝える心意気がより重要なんじゃないかと。

そんなことを意識していたら、いつのまにかインドで現地パートナーとイチゴ農場を作ることもできた。インドに出張に行った時に今でも絶対にやるのが、現地のメンバー全員とのハグ。もちろん女性とは握手だけだけど(笑)。


[写真] インドのイチゴ農場にて、現地パートナーたちと岩佐(右から三番目)


ところで、今日のミガキイチゴ・ナイトには農水省から日本食の輸出力強化プロジェクトの担当官も来てくれているんだけど、海外から見た日本食について、何かコメントがあれば。

松嶋)正直に言うと、日本食を頑張って海外へ持っていく必要はないと思います。もうすでに海外には、日本が大好きで日本的なお店をやっている人はたくさんいます。でも日本人からしたら「それは日本食じゃないよね」、というようなお寿司屋さんとかお店がたくさんあると思うんですけど、それも日本食だということを受け入れてあげることが大事かなと思うんです。僕は普段フランスに住んでいますが、日本に帰ってくるといつも、フランス料理は東京には一軒もないと感じます。残念ながら、なんちゃってフランス料理しかない。ということを僕が言ったらどうなるかと言うと、非難轟々です。まあ平気でよく言いますが(笑)。でもそれと同じように、なんちゃって日本料理に対して、「これは日本的じゃないよ」と上から目線で見る日本人があまりに多いと思う。おもてなしを大事にする優しい民族だと自分でも言っている私たちが、他人が生み出したものについては厳しく、おもてなしの精神は全く感じられないので、そういったところから寛容になれば、もう少し早いスピードで日本食も広まるんじゃないかなと思います。あれも日本食だっていうことをまずは受け入れてあげることが大事かなと。

岩佐)今こんな真面目な話しながらこんな変ないちごのかぶり物を被っていてもいいのかなと思ったんだけど(笑)

松嶋)僕はそれも受け入れます(笑)

岩佐)日本人は「カリフォルニアロールは寿司じゃない」とかよく言うじゃん。でも日本食が世界文化遺産に登録されたけど、世界の人が評価している日本食というのは、例えばカリフォルニアロールのような、世界の人が日本食だと思っているものも含めた広義の日本食なんだよね。日本食原理主義だけを海外へ持っていくのは、マーケティングで言うとプロダクトアウトの発想だけど、そうではなく、その土地の人をリスペクトしてその土地に入り込むようにすれば、もっと日本食は広まるんじゃないかな、と思っているんだ。

<後編へ続く>


松嶋啓介
1977年12月20日生まれ。20歳で料理の修行のため渡仏し、25歳になった2002年、ニースでフランス料理レストランKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はKei’s Passion)をオープン。地元の食材を用いた料理を提供し、2006年にはミシュランガイドで一つ星の評価を獲得。東京では2009年よりKEISUKE MATSUSHIMA(※開店当時の店名はRestaurant-I )(渋谷区神宮前)をオープン。

失敗しても構わない―復興の現場・南相馬に飛び込む<後編>

大阪から被災地の福島県南相馬市へ飛び出してきた、会計士の杉中氏。前編に続いて今回の後編では、農業ビジネス、そして彼の理想とする世界について想いを語ってもらいました。

20160406_2_1.png南相馬ソーラー・アグリパーク(福島県南相馬市)


岩佐)一般社団法人あすびと福島(前記事参照)だけでなく、南相馬復興アグリの方でも、杉中さんは経営補佐として働かれているんですよね。先ほどトマト菜園のハウスへも行ってきましたが、とても大きくて立派なハウスでした。

杉中)実は、あの大規模トマト菜園は2015年の12月にスタートしたばかりなんです。南相馬復興アグリは、農業経営人材の育成を目的としてトマト菜園を運営する会社です。カゴメが技術支援、全量買い取りを行います。ありがたいことに、毎週のようにカゴメの社員が指導に来てくれています。

この3月が初出荷なので、僕も今月はほぼ毎日あちらに行っていますね。売上をどう作るか、どう生産性を上げるために人材を育てるか、ということを日々考えています。

岩佐)あれだけのハウスを建てるのに、資金はどうされているんですか?運転資金もいるでしょうし。

杉中)土地は市の工業団地を買いました。土地・建物への投資額は約11億円で、うち7.5億円は経済産業省の補助金、残りの3.5億円は銀行借り入れで賄っています。これ以外に日々の運転資金がかかりますが、それは半谷個人、カゴメ、ヨークベニマル、電通、三菱商事復興支援財団などからの出資が中心です。

一から菜園を運営するというのは本当に大変ですね。加えて、スタッフのトレーニングはこれからなので、人が育つのもこれからです。

岩佐)よくわかります、GRAもそうでしたので。3年目くらいまではキャッシュはずっとマイナスで、今年やっと均衡してきました。これからどんどんキャッシュが減っていく可能性がある中で、いかに生産性を上げるか、人を育てていくか。何か目標は設定しているんですか?

杉中)栽培面積は1.5ha(15,000㎡)あって、年間収穫量は660t(1t=1,000kg)を目標にしています。トマトが一番取れるのは3月終わりから6月終わりにかけてなので、そこが一番勝負ですね。人がまだまだ慣れてない段階で勝負の時期を迎えるのはとてもチャレンジングです。

岩佐)今はカゴメが買い取りをしていますが、自社で値段を決められないジレンマはありますか?いずれは独自のブランドを作ることを考えているんでしょうか?

杉中)ジレンマというより、立ち上げ期の新規事業にとって、全量買取りほどありがたいことはありません。地元のスーパーのヨークベニマルでは、すでに「あすびとトマト」というオリジナルブランドで販売されています。「明日の福島の農業を担う人々がつくったトマト」という思いを込めています。
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あすびと福島 杉中氏

岩佐)半谷さんはものすごくカリスマ的な方ですし、この会社も福島の希望としてとても注目を集めていると思いますが、ここで働くことに対してのプレッシャーは感じますか?

杉中)日々のことに没頭していると、感じる暇がないですね。僕は目の前のことを一生懸命やるのみかなと。

岩佐)半谷さんのすごさはどんなところでしょうか。

杉中)僕自身の言葉ではないのですが、「半谷は、経営をアート的な感覚でやっている」と言った人がいます。思い付きのようにも見えるアイデア・判断が、いつの間にかしっかりビジネスの形になっている。そこが彼のすごいところです。

僕も岩佐さんに聞いてみたいことがあるのですが、岩佐さんは経営をする上で、「PDPDPDCA」とよく言われますよね。それについて詳しくお聞きしたいです。

岩佐)例えばイチゴ作りは1周するのに20か月もかかります。親株を育ててそこから子苗を採ってそれを育ててハウスに定植する。つまり少なくてもビジネスを一周させるのに一年以上かかるわけです。そこが工業製品との一番の違いで、リードタイムが長い。従って失敗したとしても、あるいは成功したとしても、それを次に生かすまでに時間がかかるわけです。だから時間を節約するために打ち手の数を多くすることがとても重要なんです。

杉中)走りながら考えるということですね。




岩佐)杉中さんは大阪から東北へ来て、活躍できている感覚はありますか?

杉中)まだそこまで至ってないですね。日々、壁にぶちあたっています。

岩佐)生きがいや充実感はどうですか?

杉中)これまで自分がいた世界とは全然違うのですが、来てよかったです。監査法人ではできない経験をさせてもらっているので。こちらの方が子供からシニアの方まで、話をする相手の幅が広いのが、とても面白いですね。これまでは会計の世界の専門用語で話すことがほとんどでしたが、ここで色々な方と話すことは、凝り固まったバイアスをほぐすような感覚です。立ち上げ期にあるトマト菜園を安定化させるところまで持っていければ、一段上のやりがいを感じるのかもしれませんね。

岩佐)自分の業界の専門用語が通じない方と話すのは、最初はストレスだと思いますが、様々な方と話すことがどうして面白いのでしょうか。

杉中)極端な言い方ですが、僕は、専門家がいない世の中を考えることがあります。人工知能で弁護士の仕事の一部ができるくらいの時代になってきているので、専門家の役割は変わりつつあります。一方で、もし専門用語を使わない普通の言葉で誰もが理解できるような世界になると、複雑な問題に対して多くの人が自分で考え、行動して問題解決できる幅が拡がる。
僕は出向前はアカウンティングファームで働いていたわけですが、会計プロフェッショナル以外の立場でも社会と関われないかとずっと考えていました。だから今の立場にとても感謝しています。出向という形でチャンスを与えてくれた会社にも、受け入れてくれた半谷にも。

岩佐)考えてみれば宮城と福島は隣同士で、これから連携できることもたくさんありますね。地域創生で大事なことは各地域で囲い込むことではなく、連携と共創が大事だと思っています。これからも共有できるものを共有して、一緒に農業や東北、日本を盛り上げていきたいですね。






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杉中 貴(スギナカ タカシ)1984年滋賀県生まれ。関西の大学を卒業の後、縁の下の力持ちとして社会に貢献したいとの思いから公認会計士に。2015年7月、会社へ直談判をし、あずさ監査法人から一般社団法人あすびと福島へ出向。福島の復興のため、日々壁にぶちあたりながらも邁進中。謙虚で丁寧な人柄の中に熱い思いを秘める。


失敗しても構わない―復興の現場・南相馬に飛び込む<前編>

20160406_1_1.pngあすびと福島 杉中貴氏


震災から5年が過ぎた。宮城県山元町から福島県の沿岸部へ、あれから5年で何が変わったのか、そして何がそのままなのか、そんなことを感じる旅をした。そこで出会った一般社団法人あすびと福島の杉中貴さんを紹介する。




岩佐)そもそも杉中さんはどういう経緯で、こちらで働かれているのですか?

杉中)もともとは大阪であずさ監査法人に勤務していましたが、2015年7月から出向という形であすびと福島に来ています。きっかけは2014年12月に南相馬を訪れ、代表の半谷と出会ったことです。このときに、復興を本当の意味で進めるため、南相馬に飛び込んで半谷の手がける復興事業を後押ししたいと思い、会社に直談判して2年出向させてもらうことになりました。僕は生まれた時からずっと関西に住んでいたのですが、気がついたら東京を飛び越えてここまで来ていました。

岩佐)それは思い切った決断をされましたね。実際に来てみてどうですか?

杉中)まず来てみて、高齢の方が多くて驚きましたね。南相馬は震災後には高齢化率が25%から35%になり、日本の課題を先取りしたと言われています。いわゆる若者や働き盛りの年代が少なく、病院や飲食店、コンビニなど、多くの職場で働き手の確保に苦労しています。震災後にスーパーや飲食店が閉店したままなのは、働き手が確保できないからと言われている。一方で、お店で元気に働くシニアの方々がいらっしゃる。そういったことに驚きました。

岩佐)今どんな仕事をされていますか?

杉中)一般社団法人あすびと福島という社団に所属し、南相馬ソーラー・アグリパークで人材育成に携わっています。この場所は南相馬市の市有地で、あすびと福島の姉妹会社である福島復興ソーラー株式会社が建設した太陽光発電所と、市が建設し地元の農業生産法人が運営している植物工場があり、自然エネルギーと農業の融合した新たな産業を作っています。この南相馬ソーラー・アグリパークを舞台に、小中学生向けの自然エネルギーをテーマとした体験学習や高校生のためのスクールを開催し、福島の復興のために若い社会起業家を育てることを目的としています。
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南相馬ソーラー・アグリパーク(福島県南相馬市)

また、南相馬復興アグリ株式会社という、農業経営人材の育成を目的としてトマト菜園を運営する会社にも関わっています。あすびと福島や福島復興ソーラーと同じく半谷が代表を務める会社で、そこでは僕は会計士の知識と経験を活かしてお金の管理をサポートしています。

岩佐)南相馬ソーラー・アグリパークは、あすびと福島が主催するスクールで使われているんですよね。あすびと福島はどういう形で人材育成をしているんですか?

杉中)オープンから3年間で地域の子どもたち2200名が、学校の総合学習の一環でパークの体験学習を楽しんでいます。体験学習プログラムの作り込みは、職業体験型テーマパーク「キッザニア東京」の運営会社KCJ Groupの支援を受けています。
僕たちは、自然エネルギーの体験を通して、単に知るだけでなく「自ら考えて行動する力を育む」ことが大切だと考えています。

高校生を対象とするスクールでは、実行することを大事にしています。実際に、「高校生が伝えるふくしま食べる通信」は福島の風評被害をなくしたいと考えた高校生が発案して生まれたアクションです。
社会的事業を行う先輩に憧れる後輩が、自分もそうなろうと努力し、社会的事業に挑戦する。社団は、この「憧れの連鎖」を創ることを目指しています。

岩佐)「憧れの連鎖」は素晴らしい取組ですね。企業向けにはどのような研修をしているんですか?

杉中)企業研修では、この2年間で1000名を超える方々が南相馬を訪れています。例えば三菱商事では新人全員を、凸版印刷では若手からマネジメントまで様々な層を対象に、日本の課題を先取りした南相馬でのフィールドワークを通じた実地調査や課題分析、復興事業プラン策定といった研修をしています。企業研修は半谷の繋がりで広がっていて、講義も半谷が行っています。僕たちスタッフはサポートが中心ですが、企業の社員と地元の復興リーダーとの真剣な意見交換の場に立ち会う¬ことは僕たちにとっても南相馬に改めて向き合う機会になっていますし、社員の皆さんが考え抜いて作り出す事業プランによって、新たな価値が南相馬に生まれていることを実感します。
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左:GRA 岩佐  右:あすびと福島 杉中氏

岩佐)半谷さん自らが研修に立たれるなんてとても贅沢ですね。僕も受けてみたいです。ところで、社団としての課題は何かありますか?

杉中)寄付が少なくなっても事業が回るようにしないといけないなと思っています。研修事業の拡大です。最近ではグロービス経営大学院のケーススタディであすびと福島の復興事業を取り上げていただきました。社団の活動資金が事業収入で賄えるよう、僕たちスタッフも次の仕組みを考える必要があります。

岩佐)都会から地方へ行きたいと思っても踏み切れない方は多いと思うんですが、そういった方たちに地方へ来ることをお薦めはできますか?また、東北で働こうかと思っている人へのアドバイスはありますか?

杉中)地方へ来ることを薦められるかどうかは、その人の来る目的や期間にもよると思います。僕は「復興の現場に飛び込んだ」というニュアンスに近く、具体的にやりたいことまで明確にしてきたわけではないのでアドバイスできる立場にはないですが、行動することが大事なのかな、とは思います。

岩佐)思い立ったらとにかくジャンプすることが大事、ということですね。おそらく脱ステップ論のような考え方だと思いますが、どうすればジャンプできるでしょうか。

杉中)失敗しても構わないというメンタリティをどう持ってもらえるかだと思います。仮に失敗しても何とかなるだろう、と思うぐらいでちょうど良いんじゃないでしょうか。あとは、最初に明確なミッションを周りで用意することも大事かなと。知らない環境で最初に居場所を作るのはなかなか難しいですから、ミッションの実現を通して徐々に入っていければ良いかもしれないですね。




杉中さんは、初めての土地に飛び込み、日々、小さくても実績を積み重ねながら奮闘している。そんな姿がとても頼もしかった。イノベーションらしきことは異質なもの同士の衝突によって生み出されることを忘れてはいけないと思う。





杉中 貴(スギナカ タカシ)1984年滋賀県生まれ。関西の大学を卒業の後、縁の下の力持ちとして社会に貢献したいとの思いから公認会計士に。2015年7月、会社へ直談判をし、あずさ監査法人から一般社団法人あすびと福島へ出向。福島の復興のため、日々壁にぶちあたりながらも邁進中。謙虚で丁寧な人柄の中に熱い思いを秘める。

男性ビジネスパーソンにネイルアートをすすめる3つの理由

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日本ではビジネスの初対面で必ず名刺交換をします。残念ですが、最近では若干面倒な慣習だととらわれがちです。ぼくは1年でおそらく数千枚の名刺交換をするので、せっかくだからそれをどうやって面白い時間に変えられることができるか、試行錯誤を繰り返してきました。ネイルアートを始めてから、それがとにかくポジティブな時間になったのです。


その1 名刺交換のインパクトを最大化させよう。

名刺交換の際は、両手で親指を上に名刺を差し出します。そこで、もしネイルにかわいい自社のCIや新商品、もしくはキャラが書いてあれば、それは圧倒的なインパクトになり、どんどん会話がはずみます。相手がええ!っていう感じでネイルに気が付いてくれて、そこから話がはずんだらそれは大成功です。

もし相手が、一瞬でネイルから目をそらし他の話題を始めたとしたら、あなたがオネエだと勘違いされた恐れもありますから、その場合はすかさずフォローの会話をいれましょう。


その2 定期的に自分をリセットするための癒しの時間をつくろう。

残念ながらネイルアートは3週間ほどでくずれてきます。それをメンテナンスし続けるのは本当に大変です。まして、それが自社のCIや新商品のロゴであれば、汚くしておくのは逆効果になります。これを維持するために数週間に1度はネイルサロンに通う必要があります。これが面倒だと思われがちですが、通ってみるとこれはかなりの癒しの時間になります。ネイリストの方々は、ネイルのテクニックはもちろんですが、私たちをリラックスさせてくれる会話もとても上手です。そしてネイルサロンもそういう空間になっています。忙しいビジネスパーソンほど、習慣的に癒しの時間を作りましょう。


その3 セルフブランディングのPDCAを高速回転させよう。

男性ネイルはこれからブレークするかもしれません。今からやっておけば、早い人感を印象づけることができます。廃れたらすぐにやめれば済むことです。新しいことにどんどんチャレンジして反応を見ながら、セルフブランディングにおいてもPDCAを高速回転させていきましょう。トレンドをフォローするだけでなく、トレンドを作ることはビジネスパーソンにとってとっても大切な力です。



ベンチャーのスタートアップ期における難所(人材編)

起業はとにかく難しく、だけどエキサイティングで楽しい。残念ながら10年以内でその多くが敗退、生き残ってもほとんどが零細企業化し、株式上場などは確率的にみると0.01%とかそれくらいではないか。私自身もいくつかの会社を経営しまだまだ挑戦者として頑張っている身だが、これまで経験した典型的なスタートアップ期の難しさをまずはヒト(人材)にフォーカスして書いてみる。


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モノ:プロダクト、サービス。
会社設立の目的がなんであれ、一般的に起業家は自分の得意分野あるいは勝てそうな分野のプロダクトおよびサービスで会社を立ち上げる。したがって初期的な段階でモノにおいて大きな問題が起きてしまっては、もしくはスジが悪かったら論外。あっという間に退場。もちろんカネもヒトもよりつかない。

私にとってベンチャーのスタートアップ期におえる難しさの9割はヒトとカネだ。
今回はまず「ヒト(人材)」について語りたい。

ヒト:人材。
ベンチャーのスタートアップ期は挑戦的な経営者を支える優秀な創業メンバーの能力で決まる。創業メンバーのバックグラウンドは様々で職歴、学歴、業種、および年齢は様々。その多様性によってもたらされる「ゆらぎ」や「そわそわ感」がイノベーションの核となり、それこそがスタートアップ期の醍醐味なのだが、それは同時にメンバーに強いストレスももたらす。それは時に組織にゆらぎを超えた停滞を起こしかねない。

ヒトが原因になっている停滞の原因はいくつかあるが、私が考えるトップ3は以下。

1.起業家とそもそも相性が悪い
これは論外。この状態は当事者間だけでなく誰にとっても生産的な時間にならない。無理をして続けても1年と持たないだろうから、早々に時間を区切っちゃうことが重要。

2.多様性や急な環境変化がもたらすゆらぎを楽しめず、組織がぎくしゃくする
まさに生みの苦しみベンチャーの醍醐味。ここは意識してコミュニケーション量を増やしていけば解決する。猛スピードでも全員同じ車に乗っていれば怖くない。

3.メンバーが経験やスキルをベンチャー向けに再編集することができない
これはビッグチャレンジ。だけども創業メンバー全員がやり切らなくてはならない。
スピード命のベンチャー企業においては時々刻々と状況が変化する。先週の勝ちパターンが、今週は負けパターンになることもしばしば。どれだけ柔軟に変化しながら動けるかが重要だ。そんななかで大企業から移ってきたベテランのビジネスパーソンの動きが遅かったり定型化されていたりすることがしばしば問題になる。

ありがちな議論は、あの人は年齢がずいぶん上だからベンチャーでは無理だという話でこれはもちろん大ウソだ。

当然、職歴が長いのだから、編集しなければいけない量が多いのは当たり前。編集に大変なエネルギーが必要だけど、優秀な人はあっという間にやれちゃう。全部を再編集できなくてもスキルごとあるいは経験ごとを一個一個適応させていければいい。しかもその再編集を成功させたベテランのパフォーマンスは驚くほど高い。

若年者でも前職のスキルや大学、もしくはビジネススクールでの学びをいい意味でアンラーニングすることができない人はいくらでもいる。学び忘れは思ったよりも難しくて、自分でできていると思っても実はやり切れていない場合が殆ど。

逆に自分はすぐに変化できると思っている人ほど要注意。自分の経験を全体と部分に分けて主体的に再編集しなくてはなかなか変われない。ここに年齢は関係ない。

それにしても年長者に変われないのレッテルを張るのは完全に間違っている。
ちなみにGRAの経営メンバーほとんどが私より年上だが、みんなスピード違反だ。


さて、私も自戒のために一刻の時間も無駄にできないベンチャーにおいて、陥ってはならない罠を上げてみる。

・構造化評論家病
何でも構造化しないと気が済まなくなり、手段が目的と化すパターン。そもそもベンチャーのスタートアップ期はとりとめなく連続的にやってくる諸問題やチャンスとリアルタイムに向き合い戦い続けなければはならない。もちろん、構造化し整理することが問題解決にダイレクトに作用すれば話は別だが、構造化評論家病になると構造化して評論しただけで役割を終えたと思ってしまう。

人材が豊富な場所であれば話は別だが、ベンチャーはひとりひとりが解の方向性を導き出すための努力をしなくてはならない。アクションプランにどれだけこだわれるかだ。そして瞬発力も時には必要だ。もちろんこの原稿もヒト・モノ・カネで構造化しようとしている節があるが、大事なのは伝えたいことは何か。構造化は手段に過ぎない。

・それは今すぐ重要じゃないのに得意だから時間を割く病
現時点において相対的にインパクトつまり重要度が低い問題なのに、例えばそれが自分の得意分野だったりすると、必要以上に時間をかけてしまう病。限られたリソースで最大限のアウトプットを生み出すために組織としても重要事項を明示する責務があるが、個々のレベルでも注意を払っておかなければならない。


以上、今日はざっくりとベンチャースタートアップ期におけるヒトの話でした。

甘酸っぱい日常でいこう!

最近はドキドキ、ワクワク、つまり「甘酸っぱい」感覚を最も大切にしている。何か重要な判断を迫られた場合にはそれが「甘酸っぱいか?」で決める。甘酸っぱいとは、人生の初デートで最初に手をつなぐ瞬間、手と手が触れるか触れないか、ギリギリの瞬間、あの感覚のことだ。ちなみにエロじゃない。エロとは全然違う。まあ、この感覚を言葉で説明するのはとっても難しいのだけど、とにかくドキドキ、ワクワクのこと。大切なのは仕事でも遊びでも家庭でもあらゆる場所に甘酸っぱさを創りだせるかだ。


甘酸っぱさは強いソワソワ感をともなって、僕らの潜在能力を究極的なレベルまで引き出してくれる。甘酸っぱくない人の多くは残念ながら潜在能力の25%くらいしか使えていない。甘酸っぱいモードに入ると潜在能力の100%近くまで発揮できる。だから、甘酸っぱいスイッチをいつでもオンに出来る力を身に着けておければ、同じことをよーいドンでスタートしたらほとんどの場合、誰にも負けないスピードで突っ走ることができる。仕事でも遊びでも。人生を豊かにするものを一つだけあげよと言われたら、間違いなく甘酸っぱさと答える。甘酸っぱさこそすべてだ。


じゃあどうやったら甘酸っぱくなれるか?たった四つのコツがある。これを意識すれば誰でも甘酸っぱくなれる。

一.迷ったらすぐにやる「実行実現」
二.全速力で突っ走る「電光石火」
三.多くの仲間と共にやる「価値共創」
四.人や社会の役に立つことをやる「自利利他」


これを続けると、あっという間に甘酸っぱくなれる。


甘酸っぱい人のところには、人がたくさん集まってくる。しかもなぜかイケてる人が集まってくる。ソワソワ感でいっぱいになる。そしていつの間にか彼ら彼女らが甘酸っぱくなり、次第にその周りの人も甘酸っぱくなる。甘酸っぱい畑ができる。甘酸っぱい畑には出会いが沢山ある。それこそがイノベーションの源泉だ。


経営者やリーダーの一番の役割はイノベーションが起きやすい環境を創っておくこと。つまり甘酸っぱい畑を耕しておくことだ。その為の努力はひとつも惜しんではならないのだが、そのためにまずは自分自身が甘酸っぱくなくてはならない。


甘酸っぱくなれるコツをもう一つ忘れていた。美味しいイチゴをとにかく食べまくること。24歳で起業したIT会社をひとに任せ、故郷の宮城県山元町に戻りイチゴ作りを始めてからもうすぐ三年になる。山元町のミガキイチゴはあっという間に日本で大ブレーク。東京の百貨店でひと粒1000円で売られるブランドになった。そしてミガキイチゴは海を越えてインドにも進出した。三年前、何もなかった場所にたくさんの人が集まってきて、新しいものが次々と創造されている。これはすべて甘酸っぱさのパワーだ。


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※このエッセイは一般財団法人経済産業調査会の会報『リーチレター』(2014年9月号)に掲載されています。


【関連サイト】
岩佐大輝公式サイト
岩佐大輝著「99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る」特設ページ
食べる宝石 ミガキイチゴストア(Yahoo!ショッピング)

(続)ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!

■失敗するために最初の一歩を踏み出してみる
「脱ステップ論」はfacebookで3,000シェアの大反響。やっぱりみんな世界に飛び出したい気持ちはあるが最初の一歩を踏み出せないことが分かった。こうなったら「失敗するために最初の一歩を踏み出してみる」作戦でいこう。

知人の女性からメッセージをいただいた。許可を受けてここに共有する。

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岩佐様

「ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!」
を拝見し、とても強く共感しました。

でも、情けない話でお恥ずかしいのですが、
実際に何かを始めようとすると、
周りの人に受け入れてもらえるのか、
同僚に迷惑をかけてしまうのではないか、失敗したらどうしよう、など、
いろんなことを考えてしまい、結局動けません。

岩佐さんご自身や、GRAのスタッフの方々は
いつもどのようにして第一歩を踏み出しているのですか?

また動き出したことで失敗してしまったことなどありますか?

28歳(女性) 会社員
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凄くわかる。個人としても組織人としてもわかっちゃいるけど前に進めない。失敗が怖い。どうしても怖い。もちろん私も怖い。だけど、怖いからって挑戦しないと、永遠にやりたいことにはたどり着けない。自己弁護のための能力開発(例のTOIECで800点を超えてからやりはじめよう)などのステップ論に逃げ込んでしまうのが落ちだ。じゃあどうする?ここで必殺技を紹介する。

「失敗するためにまず最初の一歩を踏み出してみる。」

つまり、どうやったら失敗できるかを最初に考えるのだ。こんなことを書くと、アホかと思われそうだけど大マジだ。成功することは一切考えない。どうやったら失敗できるかだけを必死に考える。それでも挑戦しないよりは全然いい。

■なぜ失敗することが大事なのか
ビジネスでも勉強でも絶対にうまくいく成功法則は一つもないが、唯一近いものがあるとしたらPDCA(計画→実行→効果測定→改善)の高速回転をひたすらに繰り返すことだ。つまり失敗を許容しながら高速フィードバックを繰り返すやり方だ。皮肉なことに唯一の成功法則フレームワークのPDCAを使うためには失敗を許容する力が必要なのだ。成功のために失敗するわけだから、まずは失敗することを当たり前だと思う覚悟が大事だ。

■失敗を繰り返すことが大事
PDCAは本当に基本的だけど、素晴らしいフレームワークだ。だけど、万能ではない。それはスピード。つまり計画して実行してその結果を分析し、次の打ち手を考えて、それを活かして次の計画を立て、実行するころにはその計画は古臭くなっていることが最近よくある。

情報のトラフィック量とスピードがあまりにも早くて、アイデアはあっという間に2番煎じになって陳腐化するからだ。最近ではそのスピードはもはや許容できる範囲を超えてしまう場合が多い。だったらどうするの?唯一の必勝パターンであるPDCAも使えないとしたら・・・。

■「PDPDPDCA」で行こう!
ひと時にはひとつの事に集中したほうが成果は最大化するというのはいかにもそれっぽいけど、必ずしもそうじゃない。今年はこれ、来年はアレってやっていたら、あっという間に寿命が来る。特にリードタイムが長いビジネス(例えば農業)などは人生80年で30歳からスタートしたとしてもたったの50回しかチャレンジできない。

道を究めた時には片足が棺桶の中だったりするかもしれない。だから私たちはPDPDPDCA作戦でいこう!つまり、一度に3発くらい玉を発射してみる。失敗リスクは3倍、成功確率も3倍、だけど唯一有限な皆さんの1年を3倍楽しめるのがPDPDPDCA作戦だ。とにかく人生1回、時間だけは取り戻せない。施策はクイックに3発同時発射。同じ時間で成功も失敗も3倍できる。これは楽しい。失敗するためにまず最初の一歩を踏み出してみる。くらいの感覚でいい。

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唯一有限なのは時間。大切なのは単位時間あたりにどれだけ多くの玉を打ちこめるかだ。


どうだろう、少しは心が軽くなっただろうか。そうそう、気楽にやっちゃっていいの。
ロジックをつめつめにするのも大切だけど、感じまくることはもっともっと大切。


具体的な例を上げてみる。私たちの農業ビジネスで言えば、ある品種を今年は植えてみる。ダメだったから来年違うのを植えるなんて繰り返していたらどうなる?登録されているイチゴの品種だけで250品種。2世紀半だ。2世紀半もあれば品種は今の10倍以上になるだろう。永遠に答えは見つからない。無謀にも昨年GRAは10品種近くは作付した。ほとんどがダメ品種。だけど光り輝く3品種が1年で3品種見つかった。

■組織の中にいながら新規事業に挑戦するにはどうすればいいか
プライベートの挑戦ならともかく、組織の中でどうやって失敗を許してもらうのか。あるいは新しい挑戦を許してもらえるのか?

ここで私が東京で経営する会社で働く25歳のKさん(男性)と24歳のMさん(女性)を紹介する。二人は実にうまく新規事業に取り組んでいる。

会社の伝統的本流事業から外れた新規事業に対する風当たりは厳しい。会社が行き詰っていて活路を見つけ出さなければならないようなタイミングでも新規事業を起こすのは大変だ。しかもすぐにキャッシュを生まない活動は、全社の賛同はなかなか得られない。だからと言って、想いだけで突っ走っては全然だめだ。それを上司にぶつけて玉砕しては元も子もない。では具体的にどうするか。

■潜水艦方式でいこう
先に紹介した二人は自分たちが取り組みたい新規事業に対してコアタイムを使うのではなく、早朝の1時間半をそれにあてている。おまけに私の時間も週に1回早朝1時間半確保して毎週3人で朝会をやっている。既存事業をまったくおろそかにすることなく虎視眈々と新規事業を考える。つまり潜水艦方式(サブマリーン作戦)を実行している。それもオフィスではなくカフェやファミレスでワイガヤと楽しくやっている。始業時間までには完全に終わるこのイベントを私たちは「クレイジー朝会」と呼んで大切にしている。

私も二人に突き上げられるから、眠いけど朝早く起きていく。彼らとはもう半年以上、朝会を続けてきたが、どれだけ新しいアイデアや事業が出てきただろうか。数えきれないくらいだ。

私じゃなくても、普通の上司なら熱意をもって新規事業にトライする若者を放ってはおかないだろう。

二人には思いきって挑戦してもらうようにしている。ステップ論を押し付けて簡単な仕事ばかりやらせていたら、彼ら彼女らの成長スピードを奪ってしまう。だから失敗してもいいから思い切って難しく面白そうな仕事をわたす。

不思議と「絶対にうまくやれよ。」と言って仕事をわたすより、「失敗してもいいから思い切ってやれ」と任せた方がうまくやってくれることが多い。心のリミッターを解除してあげられるから、潜在能力を100%使ってくれる。結果的に思い切った施策と成果をもたらしてくれている。

彼らが何か特別なことをしたかといったら全くそうではない。彼らは社内の制約を守り、しかも毎月の数字(営業予算)を達成しながら、かつ新規事業に取り組むための工夫として「クレイジー朝会」を続けている。誰からの押しつけでもなく自分自身で勝ち取った結果だ。企業の中で起業家のように生きる方法もいくつもある。

さあ、今すぐみんなで挑戦をスタートさせよう!


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レジェンド橋元インドに立つ

■レジェンド橋元、インドに立つ。

インド人スタッフに人気の橋元忠嗣
GRA創業者の橋元忠嗣(66)と橋元洋平(36)がインドに降り立った。この景色を3年前に誰が想像しただろうか。3.11で家族をそしてイチゴ畑を失った2人がJAPANテクノロジーを駆使したイチゴハウスを背にインドの大地を踏みしめている。

橋元忠嗣(66)は東日本大震災で家屋とイチゴハウスのすべてを失った。橋元洋平(36)は愛娘が津波にのみ込まれた。私が彼らと同じ状況にさらされたらと思うと、言葉にならない。両橋元と会社を設立したのが今から約2年前の2012年1月のことだ。

震災前、オールド橋元(忠嗣)は、親の代からのイチゴ農家で山元町でも屈指の作り手だった。数十件の農家を束ねる出荷組合の品質管理責任者も務めていたほどだ。ヤング橋元(洋平)は町の社会福祉協議会の職員として働いていた。


インドで奮闘する橋元忠嗣
震災後、私は彼らと一緒に農業生産法人GRAを立ち上げることになる。彼らがステップ論で物事を考える人だったら、決して創業の選択をできなかっただろう。(参照:「ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!」)橋元忠嗣は保守本流的な出荷組合(JA系)を脱退し法人に参画。橋元洋平は新卒で入った難関の準公務員的地位を惜しげもなく譲り、GRAに参画した。そして私と一緒に数億の連帯保証をして創業資金を創った。

震災後の混乱期において、オールド橋元が普通のイチゴ農家であれば、安定した出荷組合に属したまま100%の補助金で再興する道を選んだだろう。ヤング橋元も公務員の地位を保ったまま、復興に力を注いでいただろう。


■なぜ両橋元は挑戦する道を選んだのか
震災があったから両橋元が一歩踏み出す勇気をもてたかと言ったら、それはまったく違う。特別な体験が無ければ一歩踏み出せないというのは間違いだ。むしろ震災後、多くの人々は保守的になってまったく身動きがとれなくなっていた。そのような中で、何億円もの連帯保証を抱えて前のめりに挑戦したのが両橋元だ。大切なのは二人の熱いこころざしだ。「東北に新しい産業をもたらし、山元町を世界に発信したい」その志と想いに尽きる。


■国境も人種も越えて、想いは必ず伝播する。

インド人スタッフに囲まれる橋元忠嗣。
インド人は彼のことを「レジェンド」と呼んでいた
橋元忠嗣(66)は、今インドの大地を踏みしめている。山元町で培ってきた技術を惜しげもなくインドの貧しい農村のために広めようとしている。

橋元忠嗣がインドの農場に訪れた瞬間、インド人スタッフの目の色が変わった。彼ら彼女らは橋元忠嗣に食らいつき、あらゆるイチゴに関する知見を引きだそうとしていた。忠嗣も本気でそれに応えた。言語や人種そして宗教の違いなんてまったく関係ない。橋元忠嗣の存在自体が、インド人を奮い立たせた。多くを失い、仮設住宅に暮らしながら、自分の家を建てる目途もついていない彼が、インドの貧しい農村の人々に尽くす。言葉が見つからない。


■組織の中にいても挑戦は可能なのか?
この問いに私が答えるのは本当に難しい。なぜなら私は大企業で働いた経験が一度もないからだ。ヒントになるかはわからないが、私にとってかけがえのないパートナーの大企業で働くW君(36)を紹介する。

1年前、彼は日本のいわゆる伝統的大企業の中のコンサルティング事業部で働いていた。彼は開発国でのBOPビジネスを立ち上げて雇用を創るという壮大なこころざしをもっている。GRAがインドでのBOP農業ビジネスに参画するにあたって、彼は大企業にいながら私たちに側面支援を続けてくれていた。

いよいよ本格的にGRAが億単位のバジェットでインドでのBOPビジネスをスタートさせるタイミングで、彼はGRAへの入社を考えた。しかし、創業したての農業ベンチャーが伝統的大企業のような報酬を支払えるはずもなく、家族を抱える彼は迷いに迷った末、プロジェクトの成果を最大化するために大企業にいながらにしての側面支援の道を選んだ。

彼の凄いところは、ここからだ。

事業部を何か月もかけて説得し、見事に社内のCSR部門への異動を勝ち取った。今現在、彼は側面からではなく、GRAのパートナーとして一緒にインドでのBOP農業ビジネスに取り組んでいる。

彼がCSRへ異動し事業化への検討まで進められているのはなぜか?運じゃない。誰よりも熱い想いだ。想いが保守的な伝統的大企業の人事を動かしたのだ。もちろん、企業に属する限り想いだけではだめだ。特にCSR的取り組みにおいては、プロジェクトが中長期的に企業にどれだけ貢献するに対して、明確な責任を持って挑む必要がある。ただただ暴れていたのでは、後ろから誰かに刺されてあなたの挑戦は犬死に終わるかもしれない。


■若い私たちが挑戦しない理由なんてひとつもない
66歳の橋元忠嗣はインドでゼロからの挑戦をスタートさせた。英語もわからないし、インドに来たのも初めてだ。だけど、他のどのメンバーよりもインド人メンバーを奮い立たせた。それはなぜだろう?答えはシンプルだ。誰よりも想いが強いからだ。そこに理屈はない。想いやこころざしは国境を超える。彼を見ていると、若い私たちが、国境を超えて挑戦しない理由なんて一つもない。

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そして、もしあなたの年齢がいくつだとしても、新しいスタートを切ることに遅すぎるということも早すぎるということも絶対にない。10代、20代そして私のような30代は言わずもがな。40代だって50代だってそうだ。大きな挫折を味わったとして、何もかも投げ出したくなる時もあるかもしれない。そんな時は橋元忠嗣と橋元洋平を思い出して欲しい。

99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る。絶対に実る。

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ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!

やがては世界で勝負するぞ!と言っているだけでは、おそらく死ぬまで世界には出ていけないだろう。最近学生さんと話す機会が多いが、彼ら彼女らの多くも人生で一度は世界で勝負したいと考えている。

そこで彼らがいつも言うのは、まず英語の勉強をして数年以内にTOEICで800点を取る。次に海外でMBAを取得し、海外転勤のチャンスを待つ。海外に行くことができたら、そこで自分のやりたいビジネスを考える。つまり、完全なステップ論で自分の将来を考えている人が多い。

一歩一歩課題をクリアしていく。ステップ論は誠実だし、努力家の象徴、成功への架け橋のように聞こえるけど、実は全然そうじゃない。しかも一度レールをそれてしまったら二度とそこには戻ってこられなくなる危険性をはらんでいる。想像の域がステップバイステップを超えることがないから、踏み外した時にカムバックできなくなる人もいる。

ここで私の経営する会社(GRA)で働いているK君を紹介しよう。K君とはじめて出会ったのは今から1年半ほど前で彼はまだ大学4年生の21歳。私は彼の前のめりで猪突猛進な感じが何とも好きで、アシスタントとしてインターン(アルバイト)をしてもらうことにした。

彼は、私にべったり張り付き、トップマネジメントのあらゆる意思決定の現場に同席してすべてを吸収しようとしていた。彼にとっては得難い機会だったに違いない。私もあらゆることを彼に話した。

GRAはちょうどその時期、インドでのプロジェクトが2年目に入ろうとしており駐在スタッフを募集していた。文化も宗教も習慣もまるで違うインドで現地のスタッフと英語でコミュニケーションしながら農場を運営するというタフな仕事だ。

私は、そのK君にその候補として声をかけてみることにした。彼は大学院への進学が既に決まっており、それを蹴ってインドに渡るというのは大きな決断だ。もちろん、田舎から彼を見守っている親御さんの立場にしてみれば、大学院に行かずにインドに行くなんて信じられない話だろう。

彼は反対する親御さんを見事に説得し、インド行きの切符をつかんだ。その時の彼は英語もまだまだ、いわゆる猪突猛進でやんちゃな若者だ。

3か月後、彼はインドに旅立った。約1年の駐在中、見事に結果を出した。今ではインド人とのコミュニケーションを英語で難なくこなし、GRAの海外事業において重要な人物として成長している。あの時の彼の一瞬の意思決定と行動。わずか1年で彼が何倍速で成長したかを想像してほしい。言うまでもなく彼はグローバル人材に成長した。私にとっても、とっても嬉しいことだ。まさに経営者冥利に尽きる。

ここで言いたいことは

1.チャンスが来たら前のめりに挑戦する。そして、その波にのりながら自分を鍛え上げよう。人生で同じ波は二度と来ない。
2.能力開発の後で・・・は多くの場合逃げの論法だ。開発しているうちに、最初に身に着けたものはすべて忘れて、場合によっては天国に行きになってしまう。
3.地方で成功→東京で成功→アジア→世界なんて順番はどうでもいい。アジアに進出することは仙台から福岡に出ていくぐらいの感覚でいい。世界と直接つながろう。


1・2については前段で触れたので3番の「世界で直接つながる」を深堀する。GRAでは創業わずか2年にしてインドでの施設園芸でイチゴの栽培に成功し、中東へも進出しようとしている。もちろん、日本国内でのビジネスが完全に軌道に乗っているはずもない。

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不思議だと思われるだろうが、GRAにとっては普通だ。宮城でも福岡でも栃木でもインドでも、そして中東でさえも、イチゴは条件さえうまくコントロールできれば育つ。大切なのはマーケットだ。マーケットがどこにあるかだ。今現在、世界のどこにチャンスがあるかが大切だ。ステップ論でそれを追っかけているうちは永遠にチャンスをものにすることはできない。

ではどうやって最初のチャンスをつかむのか?

またK君を引っ張り出そう。(彼はいまごろくしゃみをしているに違いない)
彼の特徴はとにかく動く。動くというのは、そこがどこであれ、インドでも日本中どこでも僕が行くぞ!と言ったらついてくる。だから私はあらゆる機会に彼を私のビジネス相手に紹介することができる。(しかも、アシスタントではなく若手ナンバーワンとして紹介する。)彼の視座はその度に上がっていく。経営者的視点を身に着けることが出来る。

そして、彼は私の投げたボールをすべて打ち返す。細かな指示であればそつなくこなし、おおきな方針を示せば、大胆に行動し結果を出す。物おじせず、ときに猪突猛進に失敗をすることもあるが、それに余りある行動力。私はK君が近い将来GRAの経営チームに入ってくれる実力をつけてくれると信じて疑わない。

そう、失敗してもいいから、思いっきり攻めようよ。人生たったの一回だからね!

誤解が無いように書いておくが、彼が特別ラッキーだったわけではない。とにかく動いて動いて動きまくる。だからチャンスがやってくる。偶発的必然なのだ。チャンスは動きまくって考えまくる人にどんどん降りてくる。それは誰であっても何処であっても、あなたが何歳でも完全にフェアな世界だ。

Anyway、とにかくみんなで動きだそうよ。失敗してもいいじゃん。死ななきゃなんとかなるでしょ。一緒にどきどき、わくわく、甘酸っぱい人生、そして世界を創っていこう。



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岩佐大輝著「99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る」特設ページ
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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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岩佐大輝の著書

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