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そして、生活するように旅をしよう!企業経営11年目、岩佐大輝の記録。

日本でいちばん屋上を愛する男-岡崎富夢の物語<後編>

屋上リビングを一気に庶民に手が届く価格にした男、株式会社PASIO代表 岡崎富夢の物語。豪快な半生を語ってもらいました。

[写真]PASIO代表岡崎富夢(左)とGRA代表岩佐(右) 赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」の浴槽にて


<前編はこちら>
<中編はこちら>

2011年1月23日。2つの事業立て直しに成功し、会社での将来が約束されたかに見えた岡崎だが・・・

岡崎)33歳になった俺は再び辞表を会社に出したんだ。社長に決裁をかけなければちょっとした出費もできないっていう、会社の規定が馬鹿馬鹿しくてね。最早数十億円以上の売上をあげる会社で、しかもその中核は俺が築いたものと言っても過言じゃないのに、わずかな額のために毎回決裁をかけるくらいなら、辞めて自分で起業した方が利益は上がるし早いよね。俺はこのライフスタイルを日本に広めるのが使命と思っていた。でもこのままこの会社のお伺いを立てていたら広まらない。俺には俺なりの大義があったんだ。

今でも覚えてるんだけど、オーナーは絵に描いたように椅子から転げ落ちたよ。だって俺は当時会社の常務でスーパースターだったから。でもオーナーからしたら、別に利益を上げたいと思ってないんだよね。まあこのままの調子でやっていけたらいいんだけど、俺はそれじゃ嫌なんだよ。だから俺は言ってやった。「こんな新しい事業初めてでしょ。なのに一々お伺い立てていたら、この事業はだめになります。屋上緑化を広めるのは俺のライフワークだから、このままお伺い立て続けるくらいなら俺は辞めます」と。

で、慌てて慰留するオーナーに、俺はこう答えた。「まず決裁を俺の自由にさせてください。また、年収は俺のあげた営業利益の10%をください。自分で起業したら俺は億万長者になるわけだから」と。

そしたらまさかオーナーは条件を飲むって言うからさ。俺は会社を辞める気満々だったから条件をつけたんだけど、意外にもオーナーはその条件を飲んでまで俺に会社に留まってほしいと。飲むと言われても辞めるなら、俺がただ一人で儲けたいだけじゃないかということになるからさ。俺山口県出身でお人よしだから、オーナーを信じちゃったんだよね。それで俺は会社に残ることにして、年収はそれまで1,000万だったのが、4000万になった。

岩佐)株ももらったの?

岡崎)多少ね。役員はこれから辞めるから、10年後には増やそうという口約束をして貰ったんだ。

岩佐)オーナーに条件を飲んでもらって、会社は富夢ちゃんの立て直した2つの事業のおかげで絶好調だったんだよね。そういえば富夢ちゃん、その頃よくメディアにも出てたよね。時代の寵児な感じだったよ。

岡崎)そう、春そのものだったよ。4000万の年収があり、経費も自由に使うことができる。

岩佐)その時どうだった?どんな気持ちだったの?

岡崎)最悪だったね。もう最悪。今だからわかるんだけど、俺は完全に驕っていて、酒と女と金に溺れていた。酒なんてむちゃくちゃ飲んでたし、女なんて日替わりだったね。その頃はそんなんだったけど、誰も覚えてないし今となっては誰とも関係が残ってないんだよ。金も、小銭入れから折りたたんだ1万円が出てくるくらい、無頓着だった。全部代替欲求のはけ口。悪魔に魂を売ってたんだ。その時は分からなかったけど。


GRA代表岩佐(左)とPASIO代表岡崎富夢(右) 赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて


岡崎)俺、昔から金持ちになりたかったんだ。俺の親父は中卒でお袋はヤンキーで、めちゃくちゃ貧乏だったんだよね。お袋は金持ちのお嬢さんだったんだけど継母に毎日いじめられていて、ものすごく愛のない家で育ってきた人なんだ。親父は中卒で自動車の整備士をやっていて、金はないけど、俺のおばあちゃんの愛を受けて育った人なんだよね。その二人が結婚して5年後に生まれた一人息子が俺なんだ。俺は、金はないけど本当に愛のある家庭で育った。だから俺は人を信じているし、人が大好きなんだ。両親に愛されて育った。でも金はなかった。小学校の5年くらいの時、夏休みに海外旅行行ってる奴いるやん。めっちゃ楽しそうやん。ハワイとかさ。そいつより俺は喧嘩も強いし足も速いし勉強もできるの。でもハワイには行けないわけ。なんでかと思ったら、親父のパフォーマンスの違いなわけ。親父のいい笑顔は思い浮かぶけど、ハワイは無理だろうなと。だから、俺が親父たちを連れていけるようになろうと思った。これが一つの原体験。

もう一つが、親父の姉さんの子どもが心臓に穴が開いていて、この子の手術に500万かかると言われていた。親戚中が、金がないから右往左往していた。その時もし俺に金があったら出してやれるのに、と。愛のすばらしさも受け止めてきたけど、金のない惨めさも小学校低学年の時に痛烈に感じたね。

もう一つ決定的だったのが、うちのお袋は親父のことを大好きだったんだ、優しくて。でも親父は中卒だから、いつも会社から帰ってきたら会社の愚痴を言う。自分は現場を知っていて仕事ができるけど、高卒大卒の上司がきて、何も分かっていない彼らに親父は虐げられる。それでお袋に会社の愚痴を言うわけ。小学校4年くらいの時のことを俺は覚えてるんだけど、毎晩晩飯を食いながら、お袋が『お父さん、そんな人はいずれ自業自得でいなくなりますよ。お父さんのおかげで私たちは毎日食べられるんだから、ありがとうね』って親父を立てるわけよ。で朝親父を見送った後ぱっと俺の方を怖い顔で振り返って、『富夢くん。勉強しないとこういう人生になるわよ。人に人生をコントロールされる。私はお父さん大好きだけど、あなたは自分の人生を勝ち取りなさい』と。俺のその小学校時代の原体験が全て今の俺になってるんだ。そこから、自分の力で這い上がるしかないということが身に染みているわけ。そんな俺が30歳に年収1000万、35歳には年収4000万。どこに行くにも付き人が来る。車なんて誰かが運転してくれるから運転したことがない。常務、次期社長とちやほやされる。人間が腐ってくるわけよ。家賃40万のところに住んで、クルーザー持って。1000万くらいの車に乗って。その時俺は魂を売っていたね。

でも、素直にそれを楽しめばいいんだけど、本当は、俺はそんな自分が嫌いなんだよね。自分らしくないんだよ。刹那的で、自己中心的な生活。金があれば何でもできる、みたいなことほんとに言ってたしね。自分の好きじゃない自分になってるから、自分の魂がどんどん崩れていく。崩れるとどうなるかというと、余計に酒、金、女になっていって自分を壊す。俺がどこまでやっても俺についてくるのか、と試したくなる。今思い返すと、最低だったね。


魂を売っていた岡崎富夢


岡崎)それで今でも忘れない、2014年10月31日。前の日に高知の親友の会社との共同事業が決まって意気揚々と羽田で携帯の電源を入れたら、夥しい数の俺の背任行為を指摘するメールが、あのオーナーから届いていたんだ。

岩佐)背任行為って具体的にはなんだったの?

岡崎)女性関係が派手だとか、金遣いの荒さで公私混同しているとか。実際は自腹での支払いがほとんどで、経費を使ったわけでもないし、独身だったから法に触れるようなことは決してしていないんだよ。でも、調子に乗っていた俺は知らずに多くの敵を作っていたんだろうね。完全に青天の霹靂だった。その段階でも、俺は会社経営に対しては全力で取り組んでいたつもりだったよ。毎月全事業部の責任者と会議を行い、既存事業の改善、新規事業の発展のために力を尽くしていた。結局、頭の中はいつも会社のことを考えていた。もう少しで、会社全体をもっと良くできるはずだったんだ。でも、問題はそこじゃなかった。すべての原因は、俺が驕っていたことだったんだ。

本当に、死ぬほどへこんだよ。俺の生まれて来た37年間の意味は何だったのか。このまま落ちぶれてしまうんじゃないか。この俺が、人を信じることができなくなりかけていた。
でも、ある日考えたんだ。これからも俺の人生は続く。この1度きりの人生で何がしたいのか。俺はやっぱり屋上を広めたいと。当然いろんな反対を受けた。でも、俺の意志は強かったね。だって、屋上が大好きだったんだ。そこでようやく立ち直ってマンションと車を引き払って、家財も売り払って、本当に1から身一つで起業したんだ。

岩佐)そんな壮絶な過去があったんだね。で、今は独立して上手く行っていると。

岡崎)前の会社でコアサプライヤーだった会社の社長が、俺が会社を辞めた時すぐ俺のところに来てくれて、「富夢が起業するなら俺についてくる」と言ってくれたんだ。「この売上は君が作ったんだ。君が屋上業界からいなくなることは俺らにとっても大きな損失だ。君が起業するなら俺はついていく」と言ってくれたことも、俺の起業の後押しとなったんだ。今は家具も床材もフレームも、全部その一社が作っている。大量に海外で作らせて大量に在庫を仕入れて、俺らには一個単位で売ってくれる。在庫もしてくれる。それも3年で数十億売ったという化け物のような実績があったからやってくれるんだ。

岩佐)富夢ちゃんは獰猛なライオンだね。獰猛で、自由なライオン。

岡崎)そう、俺は飼いたくないし飼われたくない。自由にしがらみなく、やりたいことを全力でやりたい。俺は今決裁とかを捨ててるの。自分の自由を奪われたくないから、誰の自由も奪いたくない。誰にも雇われたくないし誰も雇いたくないのが本音。お互いに得意な分野も苦手な分野もあるけど、それを否定もしないしお互い認め合っている。全員が個として立ってうまくいく社会って絶対にあるのよ。

人間の生活をベンリにするのが『文明』だとしたら、人間の生活を豊かにするのが『文化』だという。屋上はまさしく後者だ。俺は屋上で人間を豊かにしたい。俺は日本で一番屋上が好きな男なんだ。

(おわり)


GRA代表岩佐(左)とPASIO代表岡崎富夢(右) 赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて


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岡崎富夢
1977年1月23日、山口県出身。株式会社PASIO代表取締役。日本に「ラグジュアリーテラス」を広め生活を豊かにしたいとの思いから、株式会社PASIOを創業し「COLORS」という屋上テラスの開発・販売・施工を行う。

日本でいちばん屋上を愛する男-岡崎富夢の物語<中編>

屋上リビングを一気に庶民に手が届く価格にした男、株式会社PASIO代表 岡崎富夢の物語。豪快な半生を語ってもらいました。

[写真]GRA代表岩佐(左)とPASIO代表岡崎富夢(右) 赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて


<前編はこちら>

岩佐)独立する前にいた会社では、どんな仕事をしていたの?

岡崎)住宅の断熱材やビルの屋上緑化をする建築会社に勤めていたんだ。当時は会社全体としては数十億の売上で数%の利益だったんだけど、3つ事業があるうちの2つは赤字だった。それを俺は、23歳の時にプロの経営者を志して、数年後MBAの大学院に通いながら会社では営業所の所長になって、東京の営業所を5倍くらいの業績にしたんだ。

その会社では、建物の断熱材事業と、ビルの屋上緑化事業が赤字でさ。屋上緑化事業は、今俺がラグジュアリーテラスとしてやっているような家具つきのテラスではなくて、屋上緑化用資材を売る事業ね。ピーク時にはかなりの利益を出していたんだけど、俺が入ったころには赤字になってた。俺は27歳の時、数十人の部下を率いて事業部長に就任して、立て直しを命じられた。MBA2年目の頃だね。

岩佐)ビジネススクールに行ってもそれを会社で活かせなくて悩んでいる人がすごく多いけど、富夢ちゃんはダイレクトに効いたんだね、学びが。

岡崎)当時の俺はMBAで経営戦略とか論理思考とかを学んでいるくらいだったけど、俺アホだから、「いける」と思ったんだよね。これだけフレームワーク覚えたから立て直せると。で、飛び込んだんだよ。そしたらさ、その事業はもうグダグダ。赤字になるときってその時だけでなくて数年前から腐敗が進んでいる。腐敗が進んで、どうしようもなくなって赤字になるわけ。当時の「4悪」というのを今も覚えてるんだけど、まず、社員のモチベーションが下がっている。みんな辞めたいとか部署異動したいとか言ってるんだよね。それから、競合相手が同じものを自社の原価よりも安い単価で販売していること。競争戦略がなんもなってないわけ。3つ目が、現状を打開する手段を全く打てていないこと。起死回生となるような製品が仕込まれているわけでもない。そして4つ目は営業強化の策しか打ってなかったってことなんだけど、要はその時の上の人たちが、景気が上り調子の時の営業マンたちだから、たくさん営業に回った、それでたくさん利益が上がった、という人たちなんだ。その人たちからすると、『今利益が上がらないのは、営業が足りないから』なんだよね。

岩佐)ただの根性論なわけだ。

岡崎)当時会社で打っていた手が、なんと生命保険の販売で日本一の売り手だったという女性がコンサルに入って、「営業先で手紙を置いてきなさい」という、営業面の局地的な対策だけだったんだよね。そんな部署に事業部長として入っていって事業課題を分析したときに、その4悪を一網打尽にする手があることに気付いたんだ。それは製品開発力の強化という非常にシンプルな手段だったんだよ。

明らかに自社の製品が競合先の製品に負けてるんだ。カタログの性能は全く一緒なんだけど、価格は競合の方が3割も安い。でもその事業を率いてきた人たちに聞くと、競合のカタログ表記は嘘だという。でも、嘘と言っても根拠はないわけ。お客さんはそれを良いと思って買っているわけだよね。だから、嘘の根拠を出せと俺が言ったら、『それは3年使ってみたら初めてわかるんだ』と伝説みたいになっていて。根本の原因は、チャネルはある、ブランドはある、でも製品が弱いということ。製品がなぜ弱いかというと、競合の製品よりも強い製品を作るリソースがないんだよね。だってうちの会社に製品開発部隊がなかったんだから。なぜかというと、以前は天才的な社員が、営業マンをしながら自分で製品を作っていたわけ。だから、『お前らも営業をしながら製品を作れ』というのが会社の方針で、営業強化という指示以外の対策がない。

岩佐)完全に旧日本軍状態だね。玉が入っていない銃剣で突撃させられてたんだ。

岡崎)今でも社長室で繰り広げたバトルを忘れないね。製品開発部隊を作り人と資金を送り込んでほしい、そうすれば俺が全て立て直す、と常務に提言したんだ。製品開発部隊を作らないのなら再建の事業部長を下りると主張し、常務と平行線を辿る一方の俺を見兼ねて、オーナーが「わかった、ここで頓挫するくらいなら、岡崎に任せてみよう」と許可を出した。そこから俺は矢継ぎ早に5つの製品を考案し、今でも残っているメガヒット商品となったよ。そのおかげで売り上げが回復して事業を持ち直すことができたんだ。


[写真]PASIO代表 岡崎富夢


岩佐)とんとん拍子だね。大変じゃなかった?

岡崎)いや、相当苦しかったよ。製品開発ってさ、俺らの業界では製品を出すまでにだいたい1年半かかるわけ。つまり1年半かけて製品を出し、市場に浸透して売り上げが上がるまでに最低2年はかかる。その成果が上がるまでの俺への批判や悪口は本当にすごかった。まあそれもそうだね。たった27歳の俺が事業部長として、数十人の部下の上に立つ。そこに長くいた人間からすると、お前にこの業界の何が分かるんだ、となるよね。俺は役員会とかで必死にプレゼンしてるんだよ、ここがこういう問題でこうすべきだと。経験豊富な人に俺のプランに従ってもらうためには、結局ファクトとロジックしかないんだ。でも俺はこんなに必死なのに、他のやつらは毎晩俺の悪口をつまみに酒を飲んでる、という話が自然と入ってくる。この一年で俺は相当老け込んだね。

MBAに行ったから今の俺がある。ファクトとロジックを信じてるから、どんな批判にも負けなかった。本当にMBAには感謝してる。でも辛かったよ。俺はこんなに会社のことを思ってやってるのに、この船が沈んだらあいつらの生活もなくなるのに、何で夜な夜な居酒屋で俺の悪口言ってるのか、と。一番辛かった時やね。でも俺は起業する勇気もなかった。

でもあの3年で得られたものは大きかった。あの時も、今回の起業にしてもそうなんだけど、結果は数字。売上が上がるまでの間にすごい反響はある、だけどなかなか物が売れないという時期は必ずあるけど、その間に耐えるということを俺はあの3年で学んだよ。お客さんの反応が良くて俺も買いたいと思う商品は、粛々とちゃんと広めていけば、売上が上がるまでに時間はかかってもじっと耐えればよい。その度胸は3年間ぼこぼこに叩かれたときに身についたね。

そして、お前なんかが事業部長だなんて認めないと言われながらも、結果が出ると全て変わるんだ。数字が出たら、大スター。みんな『俺を信じてた』、とか言うわけ。そう思っていても、思っていなくても、みんな言う。それがサラリーマンの世界だよ。

でその数か月後、もう1つの部署の事業立て直しの話が舞い込んできたんだ。

岩佐)富夢ちゃんはそれを引き受けたの?あれほど大変な経験をしたうえで絶大な成果を残したんだから、もう引き受けないという選択もできたよね。

岡崎)引き受けたよ、もちろん。だって俺が目指してるのは、出世して勝ち抜けすることではなくて、プロの経営者として常に最悪のところに乗り込んでいって結果を出す人生だから。迷うことなく行ったね。だから俺がいつも思うのは、目指しているものは何なのか。目先の出世なのか、何なのか。俺は目指しているものはプロの経営者だ。どんな厳しい状況でも単身乗り込んでいって、ファクトとロジックと、敵だった人間を全部味方につけて、再建していくというのが俺の目指している道だ。だからそっちの道に行った時、一番俺の悪口を言っていた人たちが驚きながらも俺についてくると言ってくれて、一丸となってその事業も再建した。その過程で見つけたのが今のビジネスの原型なんだよ。


赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて 夜風に吹かれて食事も酒も進む


岡崎)次の再建の事業は、ビルの断熱事業だった。当時はビルとマンションの断熱が主だったんだけど、木造の戸建てにも断熱の技術を応用できるようになって、木造の戸建ての断熱事業に進出したところだったんだ。その際とある営業マンが「おたくはビルの屋上庭園をやってるよね。これ同じようなことを、一戸建ての家にも応用できないか」という顧客の声を拾ってきてさ。

この時の会議は、今でも伝説の会議として語り継がれてるよ。その時俺は屋上緑化の事業部長も兼務してたから、そのビジネス化を思いついたんだ。当時大手の住宅会社が、500万円で屋上に芝生と樹木を植えて屋上庭園を造っているということを俺は知っていたから、その営業マンが「部長、こういうニーズがあるんですけどどうしましょうか」と聞いてきた時、「500万くらいかかるけどそれでもやるなら引き受けると返せ」って言ったんだよね。後日どうなったか聞いたら、「住宅ローンがあって屋根と比べたら非常に高価になるのでできないと言われた」と言う。その時、俺がもしめちゃめちゃ儲かってたらその声は無視だと思うの。でもリーマンショックの影響で会社の状況も良くなかったから、何か成長の種を見つけなきゃいけないと思っていたところだった。本当にグッドクエスチョンだったと思うんだけど、その営業マンに「屋根っていくらすんの?」と聞いたら、「100万です」と言うわけ。それなら、100万だったら屋根が屋上に切り替わるんだなということに気付いた。今は業界では500万で売られている屋上は、100万だったら買うというお客様がいる。

その時俺は黙り込んだよ。3分間も黙った。

岩佐)この饒舌な男が、3分も黙ったと。(笑)

岡崎)俺は無心にノートに試算しだしてさ、あの材料とあの材料を使って、いくらになる、と。

お客さんが屋根と同じ値段だったら買うと聞き出せた。100万だったら買うという。これはいけると踏んで、やるとその場で決めたんだ。あらゆる事業部から金引っ張ってきて、これを100万で売るぞと。期限は2か月だ。GO!!と。

2か月後、何とか原価を合わせることができた。それで発売をかけたところ、1年目、2年目、3年目と売り上げが倍増し、飛ぶように売れた。年に約数千棟売れるようになった。

岩佐)屋上が100万って、激安だね!俺も昔戸建を建てようとしたときに見積もり取ったけど、随分小さい屋上でも200万くらいかかるって言われたよ・・・。どうやってそこまで原価を下げたの?

岡崎)家具などのサプライヤーを絞り込んだんだ。今までは例えばタイルだったら、4社で各3種類ずつ、計12種類から選ぶというオーダーメイドの世界だった。でも俺は絞り込んだんだ。100万で売るにはタイルはこれくらいじゃなきゃいけないと決めて、主要サプライヤーの社長のところに行って、「これから俺は屋根を屋上にします、将来これぐらいあなたの製品を売ります。今はまだ売上ゼロだけど、将来これぐらい売った時の単価を今出してください」と、直接プレゼンをしてもらった。そしたらある会社の社長が、「岡崎さんの夢に乗った」と、どんと値下げしてくれたんだ。それを俺は繰り返した。

当時の屋上緑化のすべてのアイテムに対して、全社にプレゼンしてもらったよ。床材、家具、防水、白い砂利、芝の植物のメーカー、土のメーカー・・。

そうして屋上緑化事業の立て直しに成功して、数年後には会社の常務にまで登り詰めたんだけど、まだ俺はこの時には、とんでもない将来が待ち受けているとは予想もしていなかったんだ。まさか、地獄の底まで落っこちることになるとは夢にも思わなかった・・・

<後編に続く>


赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて BBQを行う


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岡崎富夢
1977年1月23日、山口県出身。株式会社PASIO代表取締役。日本に「ラグジュアリーテラス」を広め生活を豊かにしたいとの思いから、株式会社PASIOを創業し「COLORS」という屋上テラスの開発・販売・施工を行う。

日本でいちばん屋上を愛する男-岡崎富夢の物語<前編>

屋上リビングを一気に庶民に手が届く価格にした男、岡崎富夢の物語。豪快な半生を語ってもらいました。

20160520_head.png[写真]赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」


赤坂の何の変哲もないビルの階段を上がっていくと、屋上にはバリと見紛うような光景が広がっていた。アジアンテイストのソファーにテーブル、簾、そして一番奥にはゆったりと浴槽が構えている。「ラグジュアリーテラス」というその空間には、肉を焼く匂いが水の滴る音とともにゆっくりと漂い、ついここが東京だということを忘れそうになる。

人生を謳歌する男。それを象徴するかのように豪快に笑う。ラグジュアリーテラスを世の中に生み出した経営者、岡崎富夢とは一体どのような男なのだろうか。


岩佐)富夢ちゃんは今どういうビジネスをやっているの?

岡崎)株式会社PASIOという会社でCOLORSというラグジュアリーテラスを作ってるんだ。
普通の木造戸建て住宅の屋根の代わりに屋上を作って、俺が選んだデザイン・機能に優れたダイニングセットやホームバー、ジェットバスなどの屋上に必須のアイテムをすべてパッケージで設置するのがCOLORS。高級ホテルのリゾートテラスにいるような気分を日常的に味わえる。それを住宅ローンに組み込んだら、月々1万円以下で若い家族が手にできるんだ。
直接的にライフスタイルを変えられる、最も費用対効果の高い住宅オプションだと思うよ。

俺のビジネスのすごいところはさ、お金をかけたらどれだけでもいい屋上は作れるけど、それを本当に一般の若い家庭でも手の届く価格に設定したことなんだ。
COLORSがあったら生活が変わるよ。単純に屋根の代わりに1フロア分の居住空間が増えるということもあるけど、空の下って心が開放されるんだよね。親子・夫婦・友人とのコミュニケーションが増えて1日が楽しくなる。心にも、空間的にも余裕が出てくる。そんな日々が続けば人生が豊かになる。俺は、そういう豊かなライフスタイルを屋上を通して日本に広めたいんだ。そのために、価格帯をまず一番に設定した。

屋上リビング、ラグジュアリーテラスは、昔は屋上庭園とか言っていたんだけど、実際は管理が大変で高いんだよね。使ってないところも多いし。ラグジュアリーテラスはそんな面倒なことなしに、最初から手軽に恰好つけられる。だって『うちで飲もう』と誘ってこのテラスが出てきたらそれだけでやばくない?俺も毎週のようにクライアントの社長を呼んで講義をした後ここで飲んだり、友人を呼んでバーベキューしたりして、最高だよ。

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[写真]GRA代表岩佐(左)とPASIO代表岡崎富夢(右) 赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて


岩佐)富夢ちゃんはビジョナリーだし、夢もでかいし、豪快だし、昔からそんな感じだったの?

岡崎)俺は基本的には子どもの頃から全然変わってないね。同級生に会うと、『富夢は絶対社長になると思ってたよ』とみんなに言われる。23歳の時に起業家になろうと思ったんだけど、俺の周りに起業家はいなかったし、親父もサラリーマンだったから、イメージがつかなかったんだ。だからとりあえず大学へ行って、とりあえず前の会社に勤めたわけ。営業マンだったんだけど、めっちゃ売ったね。その時の目標は早く一人前になることで、同期で一位になって最優秀新人賞をとろうと思った。6月くらいには一人前になっていたね。最初の2か月くらいで一位になった。

そうして1年間、1分1秒さえ惜しんで努力して、1年目に最優秀新人賞をとることができたんだ。目標は達成したんだけど、それで迎えた2年目にはなんと、また全く同じ1年が待っているわけよ。これはあかんな、と思った。最優秀新人賞は1年目しかないわけで、それを達成したら2年目はもうモチベーションがないよね。なのに去年と同じことしているなあと。先輩を見たら、5年目の先輩も同じことしてるなあと。そこに夢はなかったね。これが雇われのプレーヤーであるということなんだと思った。それで、2年目のGW明け、マンネリ化に嫌気が差して辞表を出したんだ。

岩佐)23歳の時ね。でもその時に結局会社を辞めなかったのはなんで?

岡崎)その時俺を一番可愛がってくれていた上司の言葉で踏みとどまったんだ。「分かった。辞めたい理由は分かった。それで、辞めて何がしたいんだ?」と。これが結構俺の中では重要な転機で、辞めて何がしたいのかと言われたときに、何もなかったんだよね。その時にその上司から、「現状が不満で辞めても、次の会社も絶対また辞める。現状が楽しくないからと他にパラダイスのような会社を探しても、絶対また辞めるよ。何がしたいかがあって、それがこの会社ではだめでどこかの会社ではできるというのであれば、辞めてもいいと思う」と言われたんだ。

その上司からの言葉がきっかけで、俺は初めて自分の原動力やキャリアパスについて考えてみたんだよね。

俺もともと中学高校と、弱いテニス部のキャプテンをやってたんだけど、その時に最強の学校にしたんだよ。みんなで勝とうよと。鬼キャプテンと言われながらも、最後には下関で有数の強豪校になった時に、『富夢がキャプテンでよかった』と言われたんだよね。そうやってリーダーとして仲間と勝利する喜びを味わうという、原体験があったんだ。俺らジャンプ世代やん。ジャンプの3つのキーワードって知ってる?『友情、努力、勝利』。全部の漫画がそれなの。ドラゴンボールも聖闘士星矢も、全部仲間と努力して勝つというストーリーなの。週に一回全部読んでいたから洗脳されてたね。しかも当時ちょうど日産のカルロスゴーンが日産を復活させる時代だったんだけど、それに触発されて、よっしゃ、じゃあ俺もいずれそういうプロの経営者になろう、と思ったんだ。好き嫌いに拘らずどんな事業でも、どんなに赤字でも、俺が一人で乗り込んでいって立て直してやろう、という。

俺は「創造と変革」の「変革」側の人間だと思う。そうして辞めずに続けた会社で、文字通り大きな変革を起こすことになるんだ。

<中編へ続く>

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岡崎富夢
1977年1月23日、山口県出身。株式会社PASIO代表取締役。日本に「ラグジュアリーテラス」を広め生活を豊かにしたいとの思いから、株式会社PASIOを創業し「COLORS」という屋上テラスの開発・販売・施工を行う。

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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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