岩佐大輝.COM

旅するように暮らそう!

そして、生活するように旅をしよう!起業家、岩佐大輝の記録。

山元町復興へ向けて動き出そう!「不撓不屈」

残された陸橋

このような大震災が生きている間に起こるとは思わなかった。今でも、夢ではないかと思ってしまう。しかし残念ながらこれはすべて現実であり、我々は震災前には戻れない。そしてこの現実を少しずつでも受け入れて、消化をさせなければ次のステージには進めない。

震災から2週間経った今でも、町民は厳しい状況にさらされている。出口の見えない避難所生活、食料、水、ガソリン、仕事、安否の確認が取れない家族。精神的にも限界が近づいてきているだろう。

行政はそれらを一つずつ解決していかなくてはならない。精力的に動いている役場の方々、自衛隊、消防団、ボランティアの皆さん、関係者の皆さんすべてに心からの敬意を表したい。

さて、そのような中にあっても少しずつ「これから」の話をしなくてはならない。


・リーダーは復興ビジョンを高々と掲げよう!
混乱している今だからこそ、リーダーがビジョンを明確に示すことが重要だ。出口の見えないトンネルを走り続けられるほど人間はタフではない。ビジョンは必ずしも精緻に作り上げる必要はない。5年後あるいは10年後にどのような姿で町が復興しているかのアウトラインだけで十分だ。最終的に産業・住民生活・行政など個別ビジョンに落とし込んで行けばいい。

そのビジョンこそが私たちの希望だ。ヒト・モノ・カネ・情報は優れたビジョンの元に集まってくる。ビジョンなき町に人は残らない。「こんな時に未来の話なんて・・・」ではなくて「こんな時だからリーダーは未来を語る」のである。

行政の大胆な組織改革を実行し、被災者の継続的サポート<現状打破>ビジョン実現<未来へ向けて>の両輪で走る体制を早々に構築することが重要だ。残されている時間は少ない。そしてそれは私がここで語るほど簡単なことではない。知恵を合わせる時だ。


・復興は1を2にするのではなく0から1を紡ぎだす作業。覚悟が必要だ!
1あるものを2,3にするのと、ゼロから1を生み出すのは全く別物だ。ゼロベースは桁外れのパワーが必要になる。そのパワーの源泉が「復興ビジョン」だ。過去にとらわれることなく、新しい山元町のポジションを創り上げなくてはならない。

被災地宮城県山元町の状況

逆に言えば、今なら何でもできるのである。山元町は海もあり山もある。明確な復興ビジョンさえあれば、平時よりもヒト・モノ・カネが集まってくる。今しかできないことが、どれだけあることか。ピンチはチャンス。そのチャンスを生かすも殺すも「ビジョン」。


・不撓不屈
復興までの道は遠く厳しい。しかし、不可能はない。私たちは何があっても必ず立ち上がってきた。決して屈せずリーダーを信じ未来に賭けよう。笑顔あふれる山元は必ず帰ってくる。今こそ一つになるときだ。

淡々と畑をつくる老人

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コメント

ホントにそう思います。こちらでいろいろな情報を発信してくださりとても助かりました。

主人の実家が坂元です。先日主人だけ実家に戻って来ました。変り果てた町を見て涙が出たそうです。幸いにも主人の家の数百メートル手前で津波は止まりました。しかし陸の孤島状態だったそうです。水を持って行ったら喜んでいたと・・・

私は亘理町に実家があります。こちらも津波の被害は逃れました。いつかまた荒浜で大きな花火を見たいと思っています。

復興への小さな一歩

災害でお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りし、その御家族の方々に哀悼の意を表します。行方不明の方々がまだ500名近くいらっしゃる、という現時点で、岩佐さんが心強いメッセージを出されたことに感動し、岩佐さんの復興に向けての決意を強く感じました。
私は山元町の生まれではありませんが、両親が長年お世話になった町であり、自然豊かな変わることのない田園風景とイチゴ、リンゴなどの農作物、ホッキ貝などの海産物、そして『海』があるこの町が好きです。風景は変わってしまいましたが、第二の故郷として山元町への思いは変わりません。私は、この町の復興を支援していきます。
私は今、全国の知人、取引先に向けて山元町の現状と、これまでの町の様子を紹介しています。全国に山元町のサポーターを増やしていきます。これが、私の復興支援の第一歩です。

希望へ

小さな町ですが、私もアルカディアウェルとアポロンとメサイアという高齢者施設の建築に携わり、東京からこの町に来るときの暖かな感じが好きでした。
東京では味わえない人の温かさがある町です。
町も人も東北だから、この2週間物資や寒さに
耐えられているのだとも思います。

早くまた、希望のある温かい町に戻っていけるよう今、私が手伝えることをしたいと思います。

物資は個人でもヤマト便は次の日に亘理センターまで着く事が確認できました。郵便局経由は、少し遅いようです。(定形外でも)

やはり、避難所以外では食料が足りないようです。
下着も多くの人が家を流されているので足りないとの事。

皆さんで協力したいものです。

笠野の海の近くの岩佐自動車のお兄さん無事ですか…??

心配です。

連絡がつきました!

以前、こちらのコメントに明光院(山元町大平字舘ノ内22)というお寺の住職さんがたの安否が知りたい!という方がいらっしゃいましたが、私の母が数日前にお寺と電話連絡取れました!

ご自宅の電話にかけ、出られたのはおそらく奥さんです。
地震による被害は少しあるものの(寺内の位牌やお骨が倒れたりしたそうです)、お寺の方々は皆さん無事との事でした。
電気や電話の線の関係で連絡が途絶えていたようです。

避難者名簿です

◆山元町ふるさと伝承館
◆山元町山下中学校
◆山元町勤労青少年センター
◆山元町山下第一小学校
◆山元町坂元中学校 
   はこちら↓
http://www.47news.jp/47topics/e/200715.php


◆合戦原学堂避難所の避難者、一人暮らし区民の疎開先(3月22日現在)
◆坂元中学校(3月22日現在)
◆山下第一小学校(3月22日現在)
◆真庭区民会館(3月20日現在)
◆老人憩いの家(3月22日現在)
◆山下中学校(3月22日現在)
◆坂元支所(3月21日現在)
◆中央公民館(3月20日現在)
   はこちら↓
http://yamamoto-cho.ef-studio.com/hinansho/2011/03/post-1.html

主人はヤマトに勤めております。
どうして、家庭まで届けられないの?と聞くと、社員、パートさん等ヤマトに勤めている方すべて合わせて、今回の地震で100名位亡くなっているらしいです。
本当に被害の大きさ、計り知れません。

郵便局はレターパックなら届くようです。あまり入りませんが、4kgまでオッケーです。

仙台からバスがでた

仙台から山元町へ高速バスが出たので、兄弟が実家(太陽ニュータウン)に行きました。ようやく食べ物を口にした、ということでした。被害の写真をメールで送ってくれ、と頼みましたが「死体が写っているかもしれないからなあ とても写真を撮る気になれない」と返事が来ました…

私は今北海道の小麦などを福島のパン工場に送り、送り返してもらったものをラスクとしてせいぞうしています。実は山元町のゆずを乗せた「ゆずラスク」が凄く人気です。宮城県山元町のゆず使用 とシールが貼ってあり、生産が追いつかなくなっています。募金も大事ですが、山元のゆずやイチジク、また干し柿やピーマンなど、北海道で買わせていただきます。ぜひ復興に役立たせて下さい。

山元町の現在の状況について

突然失礼します。物資要請グーグルマップhttp://bit.ly/eLv2oeを編集している者です。山元町の物資支援が登録されておりますが、18日以後の状況ご存じでしょうか?ご存じでしたら教えて頂けると大変助かります。また、その際おおよその人数規模などが分かりますと、要請作業も効果的に行えるかと思います。必要としている物資は18日と同じくガソリン・食糧でよろしかったでしょうか。
連絡先と致しましてはツイッターで@ma_chimanにご連絡頂けると大変助かります。また、定期的にブログも拝見させて頂いておりますので、ブログ内で報告いただいても結構です。では、失礼いたしました。

25日に山元町に行って来ました。車で東北道白石インターから、白石・角田経由で山元インター前に出て6号線を通りました。山下駅から浜吉田駅までの常磐線は、崩壊してました。貨物列車の機関車や貨車が横転してました。非惨そのものです。線路の西側は、全壊の家・半壊の家・外側から見ると被害のないように見える家など様々です。また、坂元の国道から見ると、海側は水は全然ひかないようです。なんらかの参考になれば、幸いです。それと、現地で必要としているのは、ガソリン・下着・靴などでないかなあ、と考えました。また、親戚にレトルト食品や缶詰を渡しましたら、喜ばれました。

聞いて下さい

今日わかったことです。

浜通りの防災無線が地震以前から壊れていたそうです。

浜通りの方たちが逃げ遅れたのはそこにあると思います。

茨木では防災無線で二時間?命令形で避難指示を放送し続け、ひとりの死者もなかったそうです。

山元町の死者はもっと減らせたはず。
私の縁につながる人達も死なないですんだ筈・・・
そう思うと悔しくてなりません。

教えて下さい

山元町に親戚がいます。
幸い自宅に被害は無く今も自宅で生活していますが、私には心配かけまいと大丈夫だよと現状を詳しく教えてくれません。
とくに食料が心配です。

ネットの情報によると山元町ではアイユーが再開しているそうですが分かる方教えて下さい。
どのくらい行列しているのか
どのようなものが手に入るのか、入らないのか
制限はあるのか・・・などお願いします

また亘理のお店はどんな様子ですか

よろしくお願いします。

ゆう様 

実家がアイユー近くです。
親から聞いる話では、ひとまずアイユーは開いていて買い物は出来ます。品揃えの程度はわかりません。
ガソリンも料金制限(2,3千円?)はあるものの並べば買えるようです。
水も27日午後から出たそうです。
今後の捜索、支援が進むことを祈るばかりです。

三浦様

教えて頂きありがとうございます。
少し安心しました。
水道も出るようになったのですね。
一日も早く穏やかな暮らしが戻るといいのですが・・・

坂元町

↑帰ってくる
ガソリンは平気でしたか?どこのガソリンが
やってるんですか?
教えて下さい。
そちらに親戚がいます

我が故郷

28日(月)ずっと心配していた地元に帰る。東京から東北自動車道で白石まで。そして、大河原経由で山下へ。メディアの取り上げがほとんどない山元町、ずっとやきもきしていました。僕も岩佐さんの意見に大賛成です。周りの支援、マンパワーが特に必要です。何とかして山元町に呼び込みたいと思っています。

地元の人、特に家族、親族や家をなくして避難している人たちは、悲しみいっぱいで何も手につかない状態です。
また、行方不明の人を探している人達は特に。心配、そして、毎日遺体安置所に出向き、探したり。。精神的なダメージで体調を崩す、また、正常な判断ができなくなってしまう人達もでてきています。自衛隊、行政の方々や地元の消防団の方々が本当に動いてくれていました。周りからの支援がもっともっと必要だと感じました。

28日(月)山下地区情報

山下地区、旧国道より西の地域
電気:可
電話:可 22日(火)より
水道:可 27日(日)より

アイユー:可 26日(土)より。店外の駐車場でのみ営業。朝10時から、品物がなくなり次第終
金融:可 JA、七十七銀行、郵便局(共に山下店)

ガソリンスタンド:可 山下JAスタンド。23日(水)1人2,000円まで。3時間以上待ち。28日(月)現在も、ガソリン不足が深刻で、長時間並んでやっと買える状態。友達は会社に行くのにとても困っていた。被災地では、まだまだガソリン不足です。移動の手段、重機(大きなものの撤去)、現地の人々の活力(企業活動)を奪わないためにも、被災地にどんどんエネルギー源を早急に送るべき。

【提案】
JR常磐線の代わりとして、バスを巡回させる。①相馬ー岩沼間 ②岩沼ー仙台間で朝と夕方に15分おきにバスを出してほしい。今のままでは、出勤、通学に多大な影響がでる。この地域から仙台方面の学校、会社に通う人は多い。長期的に考えると、必要なことだ思う。

復興にむけて

山下の両親の無事を確認してから2週間経ちます。
このサイトをご覧になった方からお知らせをいただきましたこと感謝しております。

さて、復興に必要なのはマンパワー、そして石油など燃料、重機など、、、、あとは医療従事者とともに薬も不足していると言います。
仮設住宅の建設も遅れており、長引く避難所暮らしによるストレス、健康への影響も心配です。

また、被災地の皆さんの絶望感、無力感などを思うと、住民自らが立ち上がって自らの手により復興していくというには時間がかかると思います。
私の両親も今は何も考えられないようで、その両親の支えになることのできない私自身もやるせない思いでおります。

私のかつてのスタッフが南三陸町「山内鮮魚店店長日記」というもので、その日から今をブログで発信しておりますが、極限の中での心身衰弱、そしてバーンアウトを心配します。
また、圧倒的に人が足りないという言葉が重くのしかかります。

それぞれができることをしていくしかないというのは、まだまだ傍観者であると自戒する今日このごろですが、スモールステップが大きなウエーブにつながるよう努めてまいりたいと思います。

希望を持って☆

山元町情報

災害ボランティア受付:山元町福祉協議会(0223-37-2785)
3月28日25名
1日で25名です。避難所運営、浸水家屋の掃除、田畑に流入したゴミや主要道路に今も横たわる流木、瓦礫の撤去には人手が必要です!

応急仮設住宅入居説明会 4月1日より順次
入居対象:自宅が全壊、または半壊し、自己資金で復旧できない人。

電気:3月22日 浸水地以外おおむね復旧
上水道:町内25%で復旧
下水道:山元浄化センター、修復にむけ着工(復旧にはおよそ1年かかる)
ガソリン:3月29日(火)山下JS、お昼12時には売り切れ。まだまだ入手困難。

情報②

郵便物のお届け
避難所配達 坂元集配センター 0223-38-1206
山元集配センター 0223-37-0370

東北本線 岩沼―仙台間 4月2日(土)再開見込み
バス(5時間毎)
仙台駅東口48番(7:30より)―山元町役場
山元町役場(9:00より)―仙台駅
予約制 090-4755-0300

僕は仕事の関係で、明日東京に戻ります。地元に戻って見たこと、聞いたことの中にはとても悲しい知らせがありました。地元の復活を願い、今後もいろいろ動いていきたいと思います。

岩佐です。

皆さん、貴重な現地の情報有難うございます。

被災者と非被災者の二極化が大きく進んでおり、家がある人はあとはガソリンだけ。買い物に少々苦労。家がない人は本当に大変。

(もちろん精神的に言えば家が壊れてなくても、親戚が死んでいなくても被災者で、大きなショックをみなさんが受けられています。)

精神ケアの専門家もかなり不足しているようです。私のようなIT系の人間も不足しているようです。

私も現場にずっといることはできませんが、物資、避難所の運用方法など、断続的に提案していこうと思います。

引き続き頑張りましょう。

あさみさんへ

3/14に投稿されているあさみさんへ
その後いかがでしょうか?
何か情報がありましたら教えてください。
私たち親戚も心配しています。

家族が山下中学校で避難生活を送っております。
先日、東京の帽子メーカーを持つ知人が役場か避難所宛で大量のニット帽や耳当て、ネックウォーマーを支援物資として送ってくれました。
しかし、佐川急便からは山元町に近い営業所は白石営業所で、それ以上近づく事は出来ないと言われたそうです。せっかく送って頂いたのに、家族の元へ届かないなんて、残念でなりません。
山元から白石営業所取りに行くにもガソリンがなければ、人手も足りません。6パッキンとかなり多く送ってくれているようですし、みなさんに行き渡る数だと思うのですが、一体いつになるのでしょうか。
また、家族は私に心配させないようにか避難所の食料は心配ないというのですが、本当でしょうか。

一日も早く復興を心から願っております。
どうか皆様、頑張って下さい。

いつも貴重な情報を
ありがとうございます。
親戚は心配かけまいと
中々情報を伝えて
もらえないので…
助かります。

おはようございます

ヤマト運輸が30日より東北6県での、集荷と配達を再開したようです。
但し、まだ一部でできない地域もあるようなので、ホームページで確認してください。

定型外郵便

先週、山元町の親戚(津波の被害のない地域)に定型外郵便で、缶詰やインスタント食品を送りました。
80才をすぎたご夫婦なので、宅急便の営業所止めではとりに行けないと思い、郵便でおくることにしました。

箱でも送れます。
縦+横+高さが90センチ以内。(ただし1番長いところが60センチ以内)
重さ4キロ以内。

西日本からでしたが、2日で自宅まで届きました。

ダメモトで送りましたが、届いてよかった。
小さいものならエクスパック(郵便)という手もあります。

郵便の件:いいね!

なおさん

貴重な情報有難うございます。
配達していただけるのですね!
これは心強いですね!

みゆきさんへ

3/29にあった”あさみさんへ”とありますが、
私のことでしょうか?違ったらごめんなさい。
14日に明伸工業の件を掲載したものです。

今はお父さんとも連絡も取れており、一時具合が悪かったようですが、
病院で薬を出してもらい回復に向かっているようです。
今は会社に寝泊りしているそうで、社員の方も仕事を始めているそうです。

先日、西濃運輸さんで荷物の配達が可能でしたので、
小平の会社宛に荷物を発送しました。ただ、西濃さんも支店止めの荷物が
あふれているそうです。みなさん取りに行くことが出来ない
そうでたまっているらしいです。私は支店止めではなく、
会社配達で出しました。

良かったら参考にしてください。

みゆきさんへ

すみません、違うみたいですね。

荷物の件だけ、参考にしてください

町役場がテンパってるのでは・・・

山元町の山沿いに住む者です。

どうやら町役場がテンパってて(って無理もありませんが)

うまく稼動していない風にも思います。

3/27のさくら餅さんのコメント
「地震前から浜通りの防災無線は壊れてたv-237」にある様に、

良くも悪くもボケてた職員さんみたいだから。

ただ、私は批判だけしたいのじゃなくて、

そういった「お役所体質」みたいなのを

どう打破していったらいいのかなって思います。管理人さんの仰るとおり、今がチャンスかもしれませんね。

他人事じゃなく私自身も、今後長いスパンでどう助力したらいいのか考えちゃう。

ゆうパック

今、テレビで気仙沼の避難所の個人宛にゆうパックが届けられているのをみました。

2日前から岩手や宮城の被災地(一部を除く)でも集配がはじまっているようですよ。

山元町で活動されている自衛隊の方々の様子です。

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/butai/10a/

自衛隊の活動記録

Fさん、有難うございます。

自衛隊の方々も奮闘してくれてますね!
ありがたい。

ミナカワタツヤさんのご家族

岩沼のFMで聞いた方からの情報です。
南東北にいるミナカワタツヤさんが、山元町山寺の家族と連絡とれずに困っているようです。

この場合の「南東北」は病院、地域どちらを指すのでしょうか。
ご存知の方、岩沼コミュニティFMか南東北病院に連絡お願いします。

ヤマト宅急便

山元町役場近くの親戚宅に西日本から25日に発送し、29日に到着しました。亘理の営業店での引取りを覚悟の上送りましたが、自宅まで配送して下さいました。

愛知県から西濃運輸で28日に発送した荷物が
31日に配達で届きました。
早く届きましたよ。問い合わせ画面で、何時ごろ
までに配達しますと情報も出ていて、わかりやすかったです。
受け取ったお父さんは色々助かったと喜んでくれました。

ガソリン情報を教えて下さい。
出来れば細かく。

記事

東京版の日本経済新聞にこのサイトと岩佐さんの記事がかなり大きく掲載されました。

山元町の現状がやはり判らずにいた関東の方には、とても助けになっていると思います。

老人保健施設アルカディアウェルのスタッフとは
連日連絡を取っており、やはり、ガソリンと水が
困っているとのこと。また、避難所指定になっていないのに、180名近い入所者を少ないスタッフが介護して食料を確保しようとしていることが判りました。
腐りにくい玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん等を送りましたが、それまでは2食しか食べておらず、スタッフもオジヤだけだったようです。

ヤマト便も東京から施設へ直接配送が可能とのことでしたので、再度施設が今、必要なものを確認した上で、発送する予定です。

まだ一部、断水もあります。
継続的な援助が必要です。

3月31日に北陸からヤマトで送りました荷物が4月1日届きました。自宅まで配達されたようです。
近くのスーパーも開いているようですが、品物が少ないのかすぐに閉まるようです。

少しですが食料品送りましたら、大変喜ばれました。
津波にあっているので、タオルとかも全部汚れてダメになったそうです。
個人的に物が送れるようになって、本当によかったです。

友人は3月29日、亘理のG.Sで1時間待ちでガソリンを満タンにしてもらったと言っていました。宅急便は営業所止めでしたが、静岡から1日で届いたようです。反対に山元町からはハガキが3日で届きました。

落ち込んでちゃ[i:63954]

70cm地盤沈下したと聞いてます
田舎から見えなかった海が
見えるそうです。
山下には、坂元の瓦礫が流れ着いているそうですネ
もう、捜す事はしないのですか?見に行けないけど
が竦んでしまうときいてます
どうなのでしょうか?

小さな情報ですが・・・

山下駅周辺では、自衛隊の皆さんによる
捜索活動が続いているようです。

また、役場の避難所では、先日から
1日3食出してもらえることになった
とも聞きました。
  
どちらも小さな情報で
どなたの役にも立たないかもしれませんが・・


にささサン

どんなに小さい情報でも、故郷を離れて暮らす私達にとっては大変ありがたいことです。
山元町に関する情報が少ないので、私達はこちらに書き込みされる皆さんのコメントで色々なことを知ることができています。

皆さん、いつもありがとうございます。

ヤマト復活

札幌からニュータウンに洗剤、カイロ、歯磨き液、食料などをクロネコヤマトで送りました。3日で宅配!がんばっているぞ、ヤマト運輸!ニュータウンは高台とはいえ、あちこちで亀裂、段差、陥没で6月くらいにガスと水道が復旧か、と噂があります。カステラを送ったら、喜ばれました。ラーメンの支給ばっかりで、ケーキが食べたい!と親父は言っていました。水がないので洗濯ができない、けど、山下小学校で簡易風呂ができて、ようやく入った、とのこと。この間愛知の自衛隊、姫路の救急車、奈良の消防団に大変お世話になっているそうです。肺気腫持ちの父はこの震災の影響でけいれんを起こして宮城病院に運ばれましたが、一命を取り留めました。山元から遠くにいる私もファックス、電話、手紙などで励ますのがひつようだ、と感じました。

日用品

「ゆうパック」は山元町へ配達出来るかどうかわからないといわれましたが、埼玉から送ったヤマト宅急便の荷物は翌日配達されました。
スリッパや、片付け用の軍手、掃除用の手袋、いつもお土産に持って帰っていたお菓子等を送りましたが、喜んで貰えたようです。

ゆうパック

私は東京からゆうパックで荷物を坂元の実家に送りました。東京では岩沼までしか行かないと言われましたが、2、3日で無事坂元の実家まで届きましたよ!

また、電話で母が『今日は普通にガソリンが入れられたんだよ!』と言っていました。整理券なしで入れられるようです!

行って来ました

昨日の土曜日、山元町の親戚宅に行って来ました。日用品は買えるようになったとのこと。
一番買えないのはタバコだそうです。
水道も復活しているところが増えて来ましたが、まだ白濁りのところもある。
ガソリンも日中は山元町近くで営業していました。山向こうの白石市なら普通に入れることができます。

私も昨日ヤマト運輸で東京から荷物を送りました。
午前着は無理でしたが、本日夕方に無事届きました。

実家は電気・ガス・水道の復旧がまだです。

親はもう山元町には住みたくないと言ってます。
さみしいけど、こんなふうに思っている人がたくさんいるかもしれません…。

メディア情報

今日のNHK21時~の「クローズアップ現代」に坂元中(中浜小)の様子が映るかもしれないそうです。
30日に行われた離任式に取材が来ていたと聞きました。

「クローズアップ現代」見ました。中浜小を見たとき言葉にならなっかたです。
ただ、子供たちが全員無事だったこと。
新学期を坂元小で迎えることが出来ること。
ほんの少しの進歩でもうれしく思いました。

山元に行ってました(1)

昨日までの5日間、実家の片付けに行ってました。
初日の夕方はガソリンは緊急車両のみとありましたが、数日で並んでいても2、3台程度に落ち着きました。
昨日の夕方に役場敷地内に水道が通ったそうですが、まだ濁り水で飲めないと聞きました。
その後帰宅したので詳しくはわかりません。
電気の復旧も進み、武田魚屋さんから東に向かう道を田んぼが終わって住宅地になる周辺は家によっては通電しており、1階が水に浸かったものの自宅で生活しているそうです(給水車が来てました)。
吉田のセブンイレブンは品数が少ないけど24時間営業になりました。
太陽ニュータウン下のローソンも開いてます。
車内生活を送る方用に大型テントが何台も設置されましたが、JR運休に伴い、学校や勤務先の近くにアパートを借り、避難所を去る方も目立ちます。
県外からの医療チームが保健センターに常駐しています。
休みを取ってボランティアで来た、と話す看護師さんがいらっしゃいました。
自衛隊の尾張の湯は終了の方向で縮小し、角田の入浴施設へシフトするようです。

山元に行ってきました(2)

初期に避難所の食事は足りなかったのかと思いきや、ちゃんと出ていたそうです(場所による?)。
今は1日3食と、それとは別の炊き出しボランティアの援助で食べ過ぎじゃないかと思うくらいです。
一昨日はアニマルレスキューがペット用品を無料配布してました。
物資保管倉庫にもペットフードはあったようですが、飼い主が欲しいと言わなかったので出さなかったようです。
欲しいものがあったら、ダメもとで倉庫に行きましょう。
物資は足りてるようでしたが、人手が足りません。
バスで仙台から1200円も払って山元に来ようとするボランティアなんて殆どいません。
地元を良く知る、実家が被災してない人達が数日間動いてくれるだけで、ぐんと楽になると思います。
泥で汚れた家具を水道の通る実家で洗ってきれいにしてあげるだけでも、避難所にいる体の不自由なお年寄りに熱いお茶を入れてあげるだけでも喜ばれます(お湯はたくさんありますがポットまで歩くのがしんどい人は冷たいペットボトルのお茶を飲んでいます)。
体を拭いてあげる、入れ歯を洗ってあげる、実家の洗濯機で洗濯物を洗ってあげる、必要とされていることはたくさんあります。

絵里さん
貴重な情報
ありがとうございます。
親戚の所にも
犬を保護してるので
教えてあげます。

違う方々へ
些細な情報をお願いしますここのサイトでしか
情報を得ることが
出来ません…。

月曜日に坂元から帰ってきました。3週間滞在しました。実家は全壊、父を亡くしました。
6号線から海の方角を見た景色は言葉では言い表わせないほどの凄惨なものでした。何もなくなってしまい、海岸のまばらな松林が痛々しくとても海が近くに見えました。
こんなにも海が近かったなんて・・・・地盤沈下で海が広がったこともあるのでしょうけど。
大津波が6号線まで来た光景を想像するだけでどんなに恐ろしいことだったろうと胸が張り裂ける思いです。 そして、父はどんな思いで波に飲み込まれたのだろう・・・どんなに苦しかったのだろう・・・どんなに無念だったのだろう・・・と思うと涙が止まりません。苦労してこつこつと慎ましく真面目に生きてきて 築き上げたもの全てが一瞬にして流されてしまったのです。
これからやっと老後を穏やかに過ごそうと思っていたところでした。どうしてこんなささやかな幸せをも奪い去ってしまったのでしょう・・・・
残された母の悲しみはあまりにも深く、どうやってささえていけば良いのか 私自身この現実を受け入れるには残酷過ぎます。
私には帰省する家はもうありません。帰る家はなくなってしまったのです・・・。300年に一度、1000年に一度の大津波といわれています。だからどうしようもない、だれもが想定外の出来事だと思います。  だから誰を責めるとかしたくはありません。だけど・・・防災無線がその役割を最後まで果たしていれば助かった命はたくさんあったのではないかと悔しくてたまらないのです。
災害の時にこそ活躍するべき無線が地震で倒壊し避難指示が流れなかったのは紛れもない事実です。消防や役場の方が車で避難を呼びかけ命を落とされたことも聞いています。 しかし その避難指示が全く聞こえていない地区はたくさんありました。停電で情報が途絶えた中、頼れるのは防災無線だけだったのです。それなのにその機能が何の役目も果たさなかったのです。大津波が来ることもわからず不意打ちのように命を奪われてしまった多くの住民。その恐怖はいかばかりかと思わずにはいられません。 隣の亘理の防災無線や甚大な被害が出ている南三陸の防災無線でさえ最後の最後まで避難を叫んでいました。山元の防災無線も倒壊せず最後まで避難指示を放送していたらこんなにも犠牲者は出ていなかったのではないでしょうか? 助かった命は100人単位であったと思います。聞いた話によると以前から腐食していて交換することになっていたとか・・・役場に直接確認すると目視して腐食はしていなかったと言われました。では震度いくつを想定して設置されていたのでしょう?
いざという時に倒れてしまう強度しかない防災無線では何の意味もありません。
今後、このような悲劇を繰り返さないよう徹底的に調査をしていただきたいと思います。亡くなられた方々の命が無駄にならぬように・・・・
6号線を境に天国と地獄のような風景。避難所の日用品を買いに新地のホームセンターに行ったとき、レジで前の人がお花と培養土を買っていました。こんな時にこの人はお花を植えるんだと この違いは何なのだろうと胸が締め付けられました。6号線より山側の人は大きな地震だったねと過去のような話になり、海側の人は明日の生活をも考えられない大きな大きな不安と悲しみを背負っている現実・・・・
どうやって乗り越えていったらよいのでしょう・・・
ただ、今回の被災で地域の方々や全国の皆さんの優しさにも触れることができました。
途中の茨木で頭を下げてお願いしたらガソリンを無料で入れてくれたスタンドの人、飲料水を買ったお店で
家族が食べるはずだったご飯を渡してくれたおばさん。 来る日も来る日もがれきの山になった水田を捜索してくれた自衛隊、消防の方々。特に自衛隊の方には色々私が聞いたり質問をしてもいやな顔をせず親身になって考えたり教えてくれました。3週間後に遺体確認できたのも自衛隊の皆さんのお陰だと思っています。
最後に遺体確認に対応してくれた警察の方も思いやりのある対応でした。
本当に多くの皆さんに励まされ親切にしていただき、感謝の思いで一杯です。おりがとうございます。
先はまだまだ見えませんが、小さな一歩でも踏み出せるよう頑張っていきます。
皆さんも どうぞ無理をせず 頑張っていきましょう。
青々とした田園風景がいつかまた見えることを信じて・・・・・

東さん

東さん

本当に残念です。
私も、帰って言葉を失いました。

何もなくなっている!

6号線から見える景色は恐ろしく、とても現実世界のものだとは思えませんでした。

お父さん、ただただ無念です。

東さん、山側にいた両親は幸い無事だったのですが、海側の方同様、悲しいのは同じだと思います。でも差がある、というのも本当にわかります。私も石巻の親戚を大勢亡くしました…本当におつらいと思います。私も今北海道にいて、こちらの人と震災の話をしても、その時だけは同情してくれますが、あとは食べ物の話や旅行の話です。時計が止まってしまったのは被災者、被災者の家族、関係者ですよね…でも愛知県の自衛隊、奈良の消防隊、姫路の救急隊、御殿場の自衛隊と本当にがんばってくれているといいます。東さん、時間が過ぎて行くことで少しずつ解決していく、いや再建に目を向けていくしかないんですよね。東さんのような方がいっぱいおいででしょうが、昔亘理藩の2600人が北海道に渡って苦しい想いをして開拓してきたことを私は忘れません。苦しい時こそこの亘理、山下、坂元の人たちの強さを信じましょう。私は仙台生まれで、先祖は古川ですから、亘理藩ではないけれど、伊達騒動の原田甲斐を尊敬しています。樅の木は残った、そうです。私たちは残っている。そう信じて生きましょう。

共有すること

東さんそしてみなさん。

東さん、お父様のこと心よりお悔み申し上げます。
どんなに苦しい思いでそこに立たれたのでしょうか、胸が締め付けられるような思いです。

先日姉から両親の家のあたりのようすが写真で送られてきました。
町のようすも悲しいものですが、家の前で茫然とたたずむ父の背中が印象的でした。
現在彼らは、市内の姉の家に身を寄せていますが、市内は被害が少ないとは言え姉も被災者です、さまざまなストレスで耳が聴こえなくなってしまったそうです。
母も抑うつ状態のようでぼんやりしていると言います。
都内にいる人でもASDなど訴えているのです。宮城の人たちは続く余震、放射能、もっともっとストレスにさらされているのでしょう。

そんななか、新しい家を探さないといけないのですが、70半ばの両親にとって、家さがしは、たいへんな労力が必要です。

東京は平時のように動きだしています。
仙台の家族を思い、頑張ろうとするとき、ふと周りがまぶしく思えます。
皆、日々のことに追われ、震災のことなど、すでに過去のこと、遠いことになってしまうのかなあと思うとせつなくなります。
でも、誰も責めることはできないですよね。

自分のできることをやっていくことですね。

私は、被災者の家族として、ここでこうして自分の思いを話すこと、皆さんの思いをうかがうことができること感謝しています。

ありがとうございます。

情報に感謝

初めて書き込ませていただきます。

震災より、こちらの情報を頼りにご縁のありました
山寺地区の方お二人の消息を毎日たどっておりました。
そして本日、なんとか無事とののお知らせを頂きました。

こちらの情報がなかったら、
広島からは状況を知ることが出来ませんでした。
心より感謝申し上げます。

ご縁のありました方々のご無事はわかりましたが、
これからもこちらのサイトで山元町の状況を知り、
微力ではありますが、お力になれる事を実践してまいります。

広島の片隅からではありますが、
山元町の皆様を思い続けております。

ふるさと納税

先日テレビで「ふるさと納税」の話をしていました。
「ふるさと納税」は税金ではなく、寄付金だそうです。
今回の地震で、各自治体の財政は、ひっ迫しているようです。
テレビで取り上げられると、沢山の寄付金が集まったそうです。
別に自分の「ふるさと」でなくても大丈夫!
翌年確定申告すれば、今住んでいる自治体の住民税がさがるので「納税」というそうです。

心の拠り所

管理人 岩佐様
茂泉様
hesrty様

私のコメントにお返事いただきありがとうございます。
何だか嬉しくほっとしました。
怒涛のような安否確認や町の様子の情報が飛び交っていた3月とは打って変わって
ひっそりとした感じになりましたね。
私は横浜在住です。周りは普通の生活に戻り何事もなかったように感じます。
かくいう私も震災は夢だったんじゃないかと思ってしまいそうになります。
思い出すのは両親の笑顔や父の畑仕事をしている姿、長閑な田園風景です。
帰ったら また皆が笑顔で迎えてくれそうな気がします。
でも、やっぱり夢ではなく現実なんですよね。
3月11日前に戻りたいです。3月11日は永久になくなればいいと思います。
被災者の切なる思いだと思います。
こちらは桜が満開です。お父さん 桜きれいだよ、お父さん 桜見える? と
呼びかけても写真の中のお父さんは何も答えてくれません。
これからですよね、本当に大変なのは・・・・
どうやって生活していけばいいのか・・母のメンタルや健康も心配です。
すぐに様子を見れない遠くにいると 役に立たないもどかしさを感じます。

hesrty様がおっしゃるように ここでこうして自分の思いを話すこと
皆さんの思いを伺うことで 何だか救われるように感じます。
友達や周りの人も 涙ぐんで私の気持ちに寄り添ってくれます。
本当に感謝しきれません。
しかし、被災者にしかわからない苦悩、山元町を知っている人にしかわからない
思いというのも 事実あるのです。
私の勝手なお願いですが、引き続き こうした思いを呟ける場を残していただけると
ありがたいなあ・・と思います。
皆さんと共有することで、くじけそうな気持ちを後ろから支えていただき 前向きに
頑張れそうな気がするのです。
また 復興の様子や情報、私たちに何が出来るか考える場として これからも
提供いただけると嬉しいです。

横浜は今日は雨・・・風も強いです。 坂元の天気はどうかなあ・・寒いのかなあ?
大きな余震もあったし 大変な思いが続いていると思います。
避難所の生活も間もなく1か月 そろそろ疲れもピークで体調も心配です。
皆様の温かいご支援に感謝するとともに、今後ともよろしくお願いいたします。

賛成

私も東さんのご意見に賛成です。太陽ニュータウンの両親は裏手の御殿場自衛隊の給水車に世話になっております。ガスもついた、電気もある、そうか、あとは水道だけか、そんな安心感を持つことなど絶対にできません。余震があって、現地は本当に呆然としているだけのようです。亘理のヨークベニマルで買い物が出来る、ガソリンも供給がよくなってきた、そんなことで遠くにいる私たちはふっと心を許してしまいがちですが、そうではない現実があるんですよね。私が心配しているのは、山元の皆さんが緊張して過ごしていて、あるときふっと気を抜いた瞬間、ばたばたと倒れてしまうのではないか、ということです。緊張しっぱなしの毎日、そして未来の見えない毎日、そして自分たちだけが取り残されていく毎日…私は山元の出身ではないけれど、八重垣神社や深山の里山、ツリーハウス、みんな大切なふるさとです。この思いを絶対に持ち続けよう、とこのサイトに語りかけようと思います。

これからのこと

こちらのサイトには色々と情報をもらい、また多くの方々が遠方から山元町の事を気にかけている事を知り、心強く思いました。

そして実際に3月25日から一週間、山元町に行ってきました。何をどう伝えればいいのか悩むまま、今に至ります。正直、書く事が辛い部分も抱えています。それでも、書くことによって、何か発信できればと思って書きました。

既に震災から一か月ですが、現地から聞く情報では、まだまだ復興という状況には無いと思ってしまいます。自分の聞いた範囲では、海側の土地に戻りたいと考えている人は誰もいませんでした。また、4月7日の地震では、夜中にも関わらず坂元の町内の人達が山の方まで避難したそうです。これが現状です。

いくら電気や物資が回復しても、人の心はまだまだ落ち着かない状況です。そして、身元不明の遺体も多く、遺体を探している方々もいます。自分自身、遺体の身元確認や、被災した現場を歩いてきました。遺体の捜索では、自衛隊の方々が丁寧に対応して下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。

今は、自分に何ができるかを考える毎日です。自分は農学が専門なので、農業分野で何か貢献できないかと思っています。また、身内を亡くした知り合いの方々に、花を持っていく事くらいしか思いつきません。

さらに、震災を風化させる事だけは絶対に避けなければならないと思っています。現地に居た時ですら山元町の情報は少ない状態でした。まして、遠方になればほとんど報じられる事がありません。とにかく、伝え続けが事も大事なことだと思います。

今後も、管理人様をはじめ、書きこみをされている皆さま方と共に、できる事をやっていきたいと思います。

今回は,叔父の事で色々とお世話になりました。
山元町の事が鮮明に解り
安堵した分、自然の恐ろしさを身に知る事が出来ありがとうございます。
叔父の弟に現地に行って貰い無事、本人確認出来
火葬してもらう事が出来、感謝しております。
それに、現地に行った叔父は、周りの変わり果てた姿に唖然、恐怖を感じたそうです。赤坂で行方不明の4人の中に叔父の名前、
3月17日の読売新聞にも
名前が記載されてました。を捜し当てた叔父は
から見えることの無い海が見えて屋根しかなく
まだ、水が引いてない為
立ち入ることが出来ませんでしたそうです。
今の赤坂はどうなってるかを動画、が出来たらうれしいです。復興に向けて出来る事から始めてください。
応援いたします。

いちご

この季節、JA亘理 やました、さかもと と名前があるイチゴが札幌のスーパーに並ぶんですけど、今年はない…さびしい うまいっちゃ というラベルがない…現実なんだなあ…

お世話になります。3月25日~4月2日まで無事だった父のフォローをしに山元町へ行って来ました。東北道の途中からはガソリンが全く手に入らず、持参した携行缶を頼りに最後は片道切符、車乗捨て覚悟で到着しました。家の片付けや母の捜索をしましたが、母はどの避難所にもおりませんでした。今だに母は行方不明です。このサイトには震災直後から情報を提供して頂き、本当に勇気づけられお世話になりました。私も現実を受入れ、しっかり前を向いて生き抜いて行きたいと思います。
最後になりますが、浜通りの防災無線が壊れていたのは本当なのかもしれません。しかし色々な人と話した結果では地震直後からパトロール車が大津波警報発令を大音量で放送しながら走り回っていたそうで、警報は認識していた人が多かった様です。事実、その放送を聞いて逃げた御近所の人曰く、家族全員逃げ切れて無事だったそうです。本当に残念なことなのですが、明暗が分かれたのは・・・。
晴天が続いたにも関わらず水が引く気配が全くなかったのでこれから海側へ向かっての捜索は難航すると思いますが、捜索が早く進んで欲しいです。

防災無線

この件では、色々意見があると思います。
防災無線が腐食していて倒れたというのは、役場庁舎上のアンテナのことです。
地震で完全に倒れていました。
各地区のアンテナについては詳細はわかりません。
本部の要のアンテナが倒壊して放送されていないのです。
役場や消防の車が出て避難を呼びかけたことも聞きました。
しかし、察するに浜通りを重点に車を走らせたのではないでしょうか?
坂元の常磐線より山側には残念ながら聞こえていません。
遠くに聞こえたという人もいましたが、何を言ってるのかわからなかったと
言います。それは何人にも聞きましたが同じ答えです。
なんとなく聞こえた時は津波が目前でどうすることもできなかったといいます。
役場のアンテナが倒壊しなければ救えた命がたくさんあったのではないでしょうか?
そのため通信手段がなくなり、県への報告や被害状況を伝えることも出来ず
陸の孤島化したのです。山元町の状況を初めて伝えたのはフジテレビの上空からの
映像でした。その衝撃は今でも脳裏に焼き付いてはなれません。
役場庁舎のアンテナが倒れることはあってはならないことです。
それが腐食していたということが事実だとしたら間違いなく人災です。
周りの市町村に比べて山元町の死亡者、行方不明者は異常に多いのです。
想定外の大津波だった・・・と簡単に済ませるには納得がいかないのです。
聞こえていたのに逃げなかったのと何の情報もなく逃げられなかったのでは
途方もなく違います。
仕方ない・・今さら・・・自己責任・・・ではすまされません。
私が言いたいのは、腐食していたのが事実なら その非を認め謝罪し
今後に生かして欲しいということです。
それこそ、今さら死んだ人は帰ってきません。
だからこそ、反省をし次に繋げないとたくさんの命が無駄になると
思います。

ラジオで下記ホームページのことを言ってたので、気になって見てみました。

被災地の方からの要望が直接見ることができます。

すごく便利だと思います。

山元町バージョン欲しくないですか?!



ふんばろう東日本支援プロジェクト
http://fumbaro.org/

東北道もまだガソリンない状態…なんだぁ…
情報ありがとうございます山元町のガソリン情報も
教えて下さい。

山元復興プロジェクト

山元復興プロジェクト作りたいですね。
このページで震災情報を
提供するようになってから、
こんなにも多くの山元調出身者
あるいはゆかりのある方からの
善意を感じ、

そのエネルギーをぎゅぎゅっと凝縮
して、山元にどんどん贈りたいですね!

プロジェクト

プロジェクトやりましょう!
色々な人が集まれば、それぞれの専門知識や特技が活かせるかもしれません。

毎日、りんごラジオのブログを見ているのですが、多くの人々が山元町を訪れているようです。

とにかく、一時的なプロジェクトでは無く、ずっと続けていく事が最も大切だと思います。

山元町役場の方は

山元町役場にお勤めの方は 自分を被災者として安否情報に掲載はしているのでしょうか?役場に勤務しているはずの友人を探していますが Googleでもヒットせず 避難所にもいないみたいで…役場の仕事があるから自分の事は後回しなんでしょうか?心配です。

『千葉から山元町へ行きました』

ようやく太陽ニュータウンに住む両親に会いに行く事ができました。

15日(金)7時頃出発し茨城の谷和原インターから常磐自動車道に入り、北関東道を経由し東北自動車道の白石インターを12時半頃に降りて、113号線から角田山元トンネルを通り山元インター近くの6号線にでました。

給油は15日(金)は国見SAで16日(土)は安達太良SAでできましたが、途中通った一般道でもガソリンスタンドは営業しており並ぶ車もいませんでした。

高速を降りてから角田のヨークマートに寄りましたが食品や飲料もある程度揃っているのを見て少しほっとしました。

その後、6号線に出てすぐは山元町の被害はあまり分かりませんでした・・・

太陽ニュータウンに入るローソン側の道が通行止めなので商店通りを通って裏道から行こうと、6号線から一本海側の大きめの道に入ろうとした行ったところ見慣れていた田んぼの風景が一転しました・・・流れてきた木や泥で田んぼが埋め尽くされ、電柱は傾きガードレールはグニャリと曲線を描いていました・・・
悲しい姿ですが受け入れる為にも伝える為にも写真に残そうとシャッターを切りました。

そんな中「こんにちは!」という元気な声に振り向くと、ひとりの小学生くらいの女の子が少し離れたところでやはり写真を撮っていたダンナにあいさつをし通り過ぎて行く後ろ姿が見えました。
女の子がどのような気持ちでこの道を歩いていたのか分かりませんが、元気な声にこちらが元気をもらってしまいました。

そのまま坂元方面に行くに従って流木に混じり家の中から押し流された家具や布団が増えてきました・・・止まっている車はガラスが割れ変形しています・・・そこからはシャッターを押す事ができませんでした・・・
一見すると壁がそのまま残っていて被害がないのかと思った家は、反対側の大きな窓がすべて割れ家の中は瓦礫が詰まっていました・・・
自衛隊の方がいるところで通行止めとなり、そこから6号線に出て宮城病院を過ぎ坂道を登り坂元に差し掛かると、遠くに海が見えました・・・残った家と家の間に坂元駅の階段だけが見えました・・・その姿があまりにも印象的で車からシャッターを切りました。
一部では高くなっている6号線の下を流れる川に沿って流れ込んだのか山側の低い場所にも被害が出ていました・・・

太陽ニュータウンからも海側の写真を撮りました。
被害が大きい場所の先は防風林が無くなっています・・・海が見えました・・・

この悲しい・・・胸を締め付けられる光景はテレビや新聞ではほとんど報道されません・・・
せめてみなさんにだけは伝えたいと思い書かせていただきました。

目の当たりにした時には出なかった涙がこの文章を書いている今になって流れてきました・・・

私が行った日の夕方、実家では地震後初めて水道が復旧しました・・・長い長い間、給水車のお世話になり尾張の湯のお世話になりました。
でも下水処理の復旧はまだまだ先です・・・
トイレで使った紙は流さずごみで捨てていました・・・完全な生活になるにはまだまだ時間がかかるようです・・・

そんななかでもサクラはきれいに咲き始めていました・・・春の訪れがみなさんの心にも安らぎを届けてくれるのを願っています。

町の経営が見えない。

3月25日の記事を読んで
・リーダーは復興ビジョンを高々と掲げよう!
「混乱している今だからこそ、リーダーがビジョンを明確に示すことが重要だ。」

将来ビジョンほどのものでなくても今町が把握している当面の復興計画のあらましでもこうした公開の場に寄稿して貰いたい。今は埼玉に避難しているが山元町は遠すぎる。ホームページを毎日見ているが事務的なことだけでは淋しくなる。避難所入居も半年の期限で早2か月が過ぎた。もどって住まいを何とかしたくてもライフラインの復旧の見通しが全く見えない。町の為政者たちにも目算が全く立たないのでしょうか。38号線より海側は居住不可にするとか仄聞されるが本当でしょうか。地域住民の総意をどのように集めているのか訝しく思います。38号線から海側の居住区域に何人の住民が住んでいたのか。資産価値や税収がゼロになって町の財政は成り立つのでしょうか?不可解です。こうした疑問に町長自ら応えてもらいたい。常磐線の移設の話が新聞記事に載っていたが考えることが暢気すぎると思いませんか。住民の焦燥感をもっと感じてもらいたいと思います。
リタイヤーしてからは山元町山寺の浜辺近くに住んでいます。ハンドルネームは都会生活卒業71才とでもしましょうかね。
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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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