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日本でいちばん屋上を愛する男-岡崎富夢の物語<中編>

屋上リビングを一気に庶民に手が届く価格にした男、株式会社PASIO代表 岡崎富夢の物語。豪快な半生を語ってもらいました。

[写真]GRA代表岩佐(左)とPASIO代表岡崎富夢(右) 赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて


<前編はこちら>

岩佐)独立する前にいた会社では、どんな仕事をしていたの?

岡崎)住宅の断熱材やビルの屋上緑化をする建築会社に勤めていたんだ。当時は会社全体としては数十億の売上で数%の利益だったんだけど、3つ事業があるうちの2つは赤字だった。それを俺は、23歳の時にプロの経営者を志して、数年後MBAの大学院に通いながら会社では営業所の所長になって、東京の営業所を5倍くらいの業績にしたんだ。

その会社では、建物の断熱材事業と、ビルの屋上緑化事業が赤字でさ。屋上緑化事業は、今俺がラグジュアリーテラスとしてやっているような家具つきのテラスではなくて、屋上緑化用資材を売る事業ね。ピーク時にはかなりの利益を出していたんだけど、俺が入ったころには赤字になってた。俺は27歳の時、数十人の部下を率いて事業部長に就任して、立て直しを命じられた。MBA2年目の頃だね。

岩佐)ビジネススクールに行ってもそれを会社で活かせなくて悩んでいる人がすごく多いけど、富夢ちゃんはダイレクトに効いたんだね、学びが。

岡崎)当時の俺はMBAで経営戦略とか論理思考とかを学んでいるくらいだったけど、俺アホだから、「いける」と思ったんだよね。これだけフレームワーク覚えたから立て直せると。で、飛び込んだんだよ。そしたらさ、その事業はもうグダグダ。赤字になるときってその時だけでなくて数年前から腐敗が進んでいる。腐敗が進んで、どうしようもなくなって赤字になるわけ。当時の「4悪」というのを今も覚えてるんだけど、まず、社員のモチベーションが下がっている。みんな辞めたいとか部署異動したいとか言ってるんだよね。それから、競合相手が同じものを自社の原価よりも安い単価で販売していること。競争戦略がなんもなってないわけ。3つ目が、現状を打開する手段を全く打てていないこと。起死回生となるような製品が仕込まれているわけでもない。そして4つ目は営業強化の策しか打ってなかったってことなんだけど、要はその時の上の人たちが、景気が上り調子の時の営業マンたちだから、たくさん営業に回った、それでたくさん利益が上がった、という人たちなんだ。その人たちからすると、『今利益が上がらないのは、営業が足りないから』なんだよね。

岩佐)ただの根性論なわけだ。

岡崎)当時会社で打っていた手が、なんと生命保険の販売で日本一の売り手だったという女性がコンサルに入って、「営業先で手紙を置いてきなさい」という、営業面の局地的な対策だけだったんだよね。そんな部署に事業部長として入っていって事業課題を分析したときに、その4悪を一網打尽にする手があることに気付いたんだ。それは製品開発力の強化という非常にシンプルな手段だったんだよ。

明らかに自社の製品が競合先の製品に負けてるんだ。カタログの性能は全く一緒なんだけど、価格は競合の方が3割も安い。でもその事業を率いてきた人たちに聞くと、競合のカタログ表記は嘘だという。でも、嘘と言っても根拠はないわけ。お客さんはそれを良いと思って買っているわけだよね。だから、嘘の根拠を出せと俺が言ったら、『それは3年使ってみたら初めてわかるんだ』と伝説みたいになっていて。根本の原因は、チャネルはある、ブランドはある、でも製品が弱いということ。製品がなぜ弱いかというと、競合の製品よりも強い製品を作るリソースがないんだよね。だってうちの会社に製品開発部隊がなかったんだから。なぜかというと、以前は天才的な社員が、営業マンをしながら自分で製品を作っていたわけ。だから、『お前らも営業をしながら製品を作れ』というのが会社の方針で、営業強化という指示以外の対策がない。

岩佐)完全に旧日本軍状態だね。玉が入っていない銃剣で突撃させられてたんだ。

岡崎)今でも社長室で繰り広げたバトルを忘れないね。製品開発部隊を作り人と資金を送り込んでほしい、そうすれば俺が全て立て直す、と常務に提言したんだ。製品開発部隊を作らないのなら再建の事業部長を下りると主張し、常務と平行線を辿る一方の俺を見兼ねて、オーナーが「わかった、ここで頓挫するくらいなら、岡崎に任せてみよう」と許可を出した。そこから俺は矢継ぎ早に5つの製品を考案し、今でも残っているメガヒット商品となったよ。そのおかげで売り上げが回復して事業を持ち直すことができたんだ。


[写真]PASIO代表 岡崎富夢


岩佐)とんとん拍子だね。大変じゃなかった?

岡崎)いや、相当苦しかったよ。製品開発ってさ、俺らの業界では製品を出すまでにだいたい1年半かかるわけ。つまり1年半かけて製品を出し、市場に浸透して売り上げが上がるまでに最低2年はかかる。その成果が上がるまでの俺への批判や悪口は本当にすごかった。まあそれもそうだね。たった27歳の俺が事業部長として、数十人の部下の上に立つ。そこに長くいた人間からすると、お前にこの業界の何が分かるんだ、となるよね。俺は役員会とかで必死にプレゼンしてるんだよ、ここがこういう問題でこうすべきだと。経験豊富な人に俺のプランに従ってもらうためには、結局ファクトとロジックしかないんだ。でも俺はこんなに必死なのに、他のやつらは毎晩俺の悪口をつまみに酒を飲んでる、という話が自然と入ってくる。この一年で俺は相当老け込んだね。

MBAに行ったから今の俺がある。ファクトとロジックを信じてるから、どんな批判にも負けなかった。本当にMBAには感謝してる。でも辛かったよ。俺はこんなに会社のことを思ってやってるのに、この船が沈んだらあいつらの生活もなくなるのに、何で夜な夜な居酒屋で俺の悪口言ってるのか、と。一番辛かった時やね。でも俺は起業する勇気もなかった。

でもあの3年で得られたものは大きかった。あの時も、今回の起業にしてもそうなんだけど、結果は数字。売上が上がるまでの間にすごい反響はある、だけどなかなか物が売れないという時期は必ずあるけど、その間に耐えるということを俺はあの3年で学んだよ。お客さんの反応が良くて俺も買いたいと思う商品は、粛々とちゃんと広めていけば、売上が上がるまでに時間はかかってもじっと耐えればよい。その度胸は3年間ぼこぼこに叩かれたときに身についたね。

そして、お前なんかが事業部長だなんて認めないと言われながらも、結果が出ると全て変わるんだ。数字が出たら、大スター。みんな『俺を信じてた』、とか言うわけ。そう思っていても、思っていなくても、みんな言う。それがサラリーマンの世界だよ。

でその数か月後、もう1つの部署の事業立て直しの話が舞い込んできたんだ。

岩佐)富夢ちゃんはそれを引き受けたの?あれほど大変な経験をしたうえで絶大な成果を残したんだから、もう引き受けないという選択もできたよね。

岡崎)引き受けたよ、もちろん。だって俺が目指してるのは、出世して勝ち抜けすることではなくて、プロの経営者として常に最悪のところに乗り込んでいって結果を出す人生だから。迷うことなく行ったね。だから俺がいつも思うのは、目指しているものは何なのか。目先の出世なのか、何なのか。俺は目指しているものはプロの経営者だ。どんな厳しい状況でも単身乗り込んでいって、ファクトとロジックと、敵だった人間を全部味方につけて、再建していくというのが俺の目指している道だ。だからそっちの道に行った時、一番俺の悪口を言っていた人たちが驚きながらも俺についてくると言ってくれて、一丸となってその事業も再建した。その過程で見つけたのが今のビジネスの原型なんだよ。


赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて 夜風に吹かれて食事も酒も進む


岡崎)次の再建の事業は、ビルの断熱事業だった。当時はビルとマンションの断熱が主だったんだけど、木造の戸建てにも断熱の技術を応用できるようになって、木造の戸建ての断熱事業に進出したところだったんだ。その際とある営業マンが「おたくはビルの屋上庭園をやってるよね。これ同じようなことを、一戸建ての家にも応用できないか」という顧客の声を拾ってきてさ。

この時の会議は、今でも伝説の会議として語り継がれてるよ。その時俺は屋上緑化の事業部長も兼務してたから、そのビジネス化を思いついたんだ。当時大手の住宅会社が、500万円で屋上に芝生と樹木を植えて屋上庭園を造っているということを俺は知っていたから、その営業マンが「部長、こういうニーズがあるんですけどどうしましょうか」と聞いてきた時、「500万くらいかかるけどそれでもやるなら引き受けると返せ」って言ったんだよね。後日どうなったか聞いたら、「住宅ローンがあって屋根と比べたら非常に高価になるのでできないと言われた」と言う。その時、俺がもしめちゃめちゃ儲かってたらその声は無視だと思うの。でもリーマンショックの影響で会社の状況も良くなかったから、何か成長の種を見つけなきゃいけないと思っていたところだった。本当にグッドクエスチョンだったと思うんだけど、その営業マンに「屋根っていくらすんの?」と聞いたら、「100万です」と言うわけ。それなら、100万だったら屋根が屋上に切り替わるんだなということに気付いた。今は業界では500万で売られている屋上は、100万だったら買うというお客様がいる。

その時俺は黙り込んだよ。3分間も黙った。

岩佐)この饒舌な男が、3分も黙ったと。(笑)

岡崎)俺は無心にノートに試算しだしてさ、あの材料とあの材料を使って、いくらになる、と。

お客さんが屋根と同じ値段だったら買うと聞き出せた。100万だったら買うという。これはいけると踏んで、やるとその場で決めたんだ。あらゆる事業部から金引っ張ってきて、これを100万で売るぞと。期限は2か月だ。GO!!と。

2か月後、何とか原価を合わせることができた。それで発売をかけたところ、1年目、2年目、3年目と売り上げが倍増し、飛ぶように売れた。年に約数千棟売れるようになった。

岩佐)屋上が100万って、激安だね!俺も昔戸建を建てようとしたときに見積もり取ったけど、随分小さい屋上でも200万くらいかかるって言われたよ・・・。どうやってそこまで原価を下げたの?

岡崎)家具などのサプライヤーを絞り込んだんだ。今までは例えばタイルだったら、4社で各3種類ずつ、計12種類から選ぶというオーダーメイドの世界だった。でも俺は絞り込んだんだ。100万で売るにはタイルはこれくらいじゃなきゃいけないと決めて、主要サプライヤーの社長のところに行って、「これから俺は屋根を屋上にします、将来これぐらいあなたの製品を売ります。今はまだ売上ゼロだけど、将来これぐらい売った時の単価を今出してください」と、直接プレゼンをしてもらった。そしたらある会社の社長が、「岡崎さんの夢に乗った」と、どんと値下げしてくれたんだ。それを俺は繰り返した。

当時の屋上緑化のすべてのアイテムに対して、全社にプレゼンしてもらったよ。床材、家具、防水、白い砂利、芝の植物のメーカー、土のメーカー・・。

そうして屋上緑化事業の立て直しに成功して、数年後には会社の常務にまで登り詰めたんだけど、まだ俺はこの時には、とんでもない将来が待ち受けているとは予想もしていなかったんだ。まさか、地獄の底まで落っこちることになるとは夢にも思わなかった・・・

<後編に続く>


赤坂のラグジュアリーテラス「COLORS」にて BBQを行う


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岡崎富夢
1977年1月23日、山口県出身。株式会社PASIO代表取締役。日本に「ラグジュアリーテラス」を広め生活を豊かにしたいとの思いから、株式会社PASIOを創業し「COLORS」という屋上テラスの開発・販売・施工を行う。
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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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