岩佐大輝.COM

旅するように暮らそう!

そして、生活するように旅をしよう!起業家、岩佐大輝の記録。

ベンチャーのスタートアップ期における難所(人材編)

起業はとにかく難しく、だけどエキサイティングで楽しい。残念ながら10年以内でその多くが敗退、生き残ってもほとんどが零細企業化し、株式上場などは確率的にみると0.01%とかそれくらいではないか。私自身もいくつかの会社を経営しまだまだ挑戦者として頑張っている身だが、これまで経験した典型的なスタートアップ期の難しさをまずはヒト(人材)にフォーカスして書いてみる。


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モノ:プロダクト、サービス。
会社設立の目的がなんであれ、一般的に起業家は自分の得意分野あるいは勝てそうな分野のプロダクトおよびサービスで会社を立ち上げる。したがって初期的な段階でモノにおいて大きな問題が起きてしまっては、もしくはスジが悪かったら論外。あっという間に退場。もちろんカネもヒトもよりつかない。

私にとってベンチャーのスタートアップ期におえる難しさの9割はヒトとカネだ。
今回はまず「ヒト(人材)」について語りたい。

ヒト:人材。
ベンチャーのスタートアップ期は挑戦的な経営者を支える優秀な創業メンバーの能力で決まる。創業メンバーのバックグラウンドは様々で職歴、学歴、業種、および年齢は様々。その多様性によってもたらされる「ゆらぎ」や「そわそわ感」がイノベーションの核となり、それこそがスタートアップ期の醍醐味なのだが、それは同時にメンバーに強いストレスももたらす。それは時に組織にゆらぎを超えた停滞を起こしかねない。

ヒトが原因になっている停滞の原因はいくつかあるが、私が考えるトップ3は以下。

1.起業家とそもそも相性が悪い
これは論外。この状態は当事者間だけでなく誰にとっても生産的な時間にならない。無理をして続けても1年と持たないだろうから、早々に時間を区切っちゃうことが重要。

2.多様性や急な環境変化がもたらすゆらぎを楽しめず、組織がぎくしゃくする
まさに生みの苦しみベンチャーの醍醐味。ここは意識してコミュニケーション量を増やしていけば解決する。猛スピードでも全員同じ車に乗っていれば怖くない。

3.メンバーが経験やスキルをベンチャー向けに再編集することができない
これはビッグチャレンジ。だけども創業メンバー全員がやり切らなくてはならない。
スピード命のベンチャー企業においては時々刻々と状況が変化する。先週の勝ちパターンが、今週は負けパターンになることもしばしば。どれだけ柔軟に変化しながら動けるかが重要だ。そんななかで大企業から移ってきたベテランのビジネスパーソンの動きが遅かったり定型化されていたりすることがしばしば問題になる。

ありがちな議論は、あの人は年齢がずいぶん上だからベンチャーでは無理だという話でこれはもちろん大ウソだ。

当然、職歴が長いのだから、編集しなければいけない量が多いのは当たり前。編集に大変なエネルギーが必要だけど、優秀な人はあっという間にやれちゃう。全部を再編集できなくてもスキルごとあるいは経験ごとを一個一個適応させていければいい。しかもその再編集を成功させたベテランのパフォーマンスは驚くほど高い。

若年者でも前職のスキルや大学、もしくはビジネススクールでの学びをいい意味でアンラーニングすることができない人はいくらでもいる。学び忘れは思ったよりも難しくて、自分でできていると思っても実はやり切れていない場合が殆ど。

逆に自分はすぐに変化できると思っている人ほど要注意。自分の経験を全体と部分に分けて主体的に再編集しなくてはなかなか変われない。ここに年齢は関係ない。

それにしても年長者に変われないのレッテルを張るのは完全に間違っている。
ちなみにGRAの経営メンバーほとんどが私より年上だが、みんなスピード違反だ。


さて、私も自戒のために一刻の時間も無駄にできないベンチャーにおいて、陥ってはならない罠を上げてみる。

・構造化評論家病
何でも構造化しないと気が済まなくなり、手段が目的と化すパターン。そもそもベンチャーのスタートアップ期はとりとめなく連続的にやってくる諸問題やチャンスとリアルタイムに向き合い戦い続けなければはならない。もちろん、構造化し整理することが問題解決にダイレクトに作用すれば話は別だが、構造化評論家病になると構造化して評論しただけで役割を終えたと思ってしまう。

人材が豊富な場所であれば話は別だが、ベンチャーはひとりひとりが解の方向性を導き出すための努力をしなくてはならない。アクションプランにどれだけこだわれるかだ。そして瞬発力も時には必要だ。もちろんこの原稿もヒト・モノ・カネで構造化しようとしている節があるが、大事なのは伝えたいことは何か。構造化は手段に過ぎない。

・それは今すぐ重要じゃないのに得意だから時間を割く病
現時点において相対的にインパクトつまり重要度が低い問題なのに、例えばそれが自分の得意分野だったりすると、必要以上に時間をかけてしまう病。限られたリソースで最大限のアウトプットを生み出すために組織としても重要事項を明示する責務があるが、個々のレベルでも注意を払っておかなければならない。


以上、今日はざっくりとベンチャースタートアップ期におけるヒトの話でした。

甘酸っぱい日常でいこう!

最近はドキドキ、ワクワク、つまり「甘酸っぱい」感覚を最も大切にしている。何か重要な判断を迫られた場合にはそれが「甘酸っぱいか?」で決める。甘酸っぱいとは、人生の初デートで最初に手をつなぐ瞬間、手と手が触れるか触れないか、ギリギリの瞬間、あの感覚のことだ。ちなみにエロじゃない。エロとは全然違う。まあ、この感覚を言葉で説明するのはとっても難しいのだけど、とにかくドキドキ、ワクワクのこと。大切なのは仕事でも遊びでも家庭でもあらゆる場所に甘酸っぱさを創りだせるかだ。


甘酸っぱさは強いソワソワ感をともなって、僕らの潜在能力を究極的なレベルまで引き出してくれる。甘酸っぱくない人の多くは残念ながら潜在能力の25%くらいしか使えていない。甘酸っぱいモードに入ると潜在能力の100%近くまで発揮できる。だから、甘酸っぱいスイッチをいつでもオンに出来る力を身に着けておければ、同じことをよーいドンでスタートしたらほとんどの場合、誰にも負けないスピードで突っ走ることができる。仕事でも遊びでも。人生を豊かにするものを一つだけあげよと言われたら、間違いなく甘酸っぱさと答える。甘酸っぱさこそすべてだ。


じゃあどうやったら甘酸っぱくなれるか?たった四つのコツがある。これを意識すれば誰でも甘酸っぱくなれる。

一.迷ったらすぐにやる「実行実現」
二.全速力で突っ走る「電光石火」
三.多くの仲間と共にやる「価値共創」
四.人や社会の役に立つことをやる「自利利他」


これを続けると、あっという間に甘酸っぱくなれる。


甘酸っぱい人のところには、人がたくさん集まってくる。しかもなぜかイケてる人が集まってくる。ソワソワ感でいっぱいになる。そしていつの間にか彼ら彼女らが甘酸っぱくなり、次第にその周りの人も甘酸っぱくなる。甘酸っぱい畑ができる。甘酸っぱい畑には出会いが沢山ある。それこそがイノベーションの源泉だ。


経営者やリーダーの一番の役割はイノベーションが起きやすい環境を創っておくこと。つまり甘酸っぱい畑を耕しておくことだ。その為の努力はひとつも惜しんではならないのだが、そのためにまずは自分自身が甘酸っぱくなくてはならない。


甘酸っぱくなれるコツをもう一つ忘れていた。美味しいイチゴをとにかく食べまくること。24歳で起業したIT会社をひとに任せ、故郷の宮城県山元町に戻りイチゴ作りを始めてからもうすぐ三年になる。山元町のミガキイチゴはあっという間に日本で大ブレーク。東京の百貨店でひと粒1000円で売られるブランドになった。そしてミガキイチゴは海を越えてインドにも進出した。三年前、何もなかった場所にたくさんの人が集まってきて、新しいものが次々と創造されている。これはすべて甘酸っぱさのパワーだ。


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※このエッセイは一般財団法人経済産業調査会の会報『リーチレター』(2014年9月号)に掲載されています。


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(続)ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!

■失敗するために最初の一歩を踏み出してみる
「脱ステップ論」はfacebookで3,000シェアの大反響。やっぱりみんな世界に飛び出したい気持ちはあるが最初の一歩を踏み出せないことが分かった。こうなったら「失敗するために最初の一歩を踏み出してみる」作戦でいこう。

知人の女性からメッセージをいただいた。許可を受けてここに共有する。

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岩佐様

「ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!」
を拝見し、とても強く共感しました。

でも、情けない話でお恥ずかしいのですが、
実際に何かを始めようとすると、
周りの人に受け入れてもらえるのか、
同僚に迷惑をかけてしまうのではないか、失敗したらどうしよう、など、
いろんなことを考えてしまい、結局動けません。

岩佐さんご自身や、GRAのスタッフの方々は
いつもどのようにして第一歩を踏み出しているのですか?

また動き出したことで失敗してしまったことなどありますか?

28歳(女性) 会社員
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凄くわかる。個人としても組織人としてもわかっちゃいるけど前に進めない。失敗が怖い。どうしても怖い。もちろん私も怖い。だけど、怖いからって挑戦しないと、永遠にやりたいことにはたどり着けない。自己弁護のための能力開発(例のTOIECで800点を超えてからやりはじめよう)などのステップ論に逃げ込んでしまうのが落ちだ。じゃあどうする?ここで必殺技を紹介する。

「失敗するためにまず最初の一歩を踏み出してみる。」

つまり、どうやったら失敗できるかを最初に考えるのだ。こんなことを書くと、アホかと思われそうだけど大マジだ。成功することは一切考えない。どうやったら失敗できるかだけを必死に考える。それでも挑戦しないよりは全然いい。

■なぜ失敗することが大事なのか
ビジネスでも勉強でも絶対にうまくいく成功法則は一つもないが、唯一近いものがあるとしたらPDCA(計画→実行→効果測定→改善)の高速回転をひたすらに繰り返すことだ。つまり失敗を許容しながら高速フィードバックを繰り返すやり方だ。皮肉なことに唯一の成功法則フレームワークのPDCAを使うためには失敗を許容する力が必要なのだ。成功のために失敗するわけだから、まずは失敗することを当たり前だと思う覚悟が大事だ。

■失敗を繰り返すことが大事
PDCAは本当に基本的だけど、素晴らしいフレームワークだ。だけど、万能ではない。それはスピード。つまり計画して実行してその結果を分析し、次の打ち手を考えて、それを活かして次の計画を立て、実行するころにはその計画は古臭くなっていることが最近よくある。

情報のトラフィック量とスピードがあまりにも早くて、アイデアはあっという間に2番煎じになって陳腐化するからだ。最近ではそのスピードはもはや許容できる範囲を超えてしまう場合が多い。だったらどうするの?唯一の必勝パターンであるPDCAも使えないとしたら・・・。

■「PDPDPDCA」で行こう!
ひと時にはひとつの事に集中したほうが成果は最大化するというのはいかにもそれっぽいけど、必ずしもそうじゃない。今年はこれ、来年はアレってやっていたら、あっという間に寿命が来る。特にリードタイムが長いビジネス(例えば農業)などは人生80年で30歳からスタートしたとしてもたったの50回しかチャレンジできない。

道を究めた時には片足が棺桶の中だったりするかもしれない。だから私たちはPDPDPDCA作戦でいこう!つまり、一度に3発くらい玉を発射してみる。失敗リスクは3倍、成功確率も3倍、だけど唯一有限な皆さんの1年を3倍楽しめるのがPDPDPDCA作戦だ。とにかく人生1回、時間だけは取り戻せない。施策はクイックに3発同時発射。同じ時間で成功も失敗も3倍できる。これは楽しい。失敗するためにまず最初の一歩を踏み出してみる。くらいの感覚でいい。

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唯一有限なのは時間。大切なのは単位時間あたりにどれだけ多くの玉を打ちこめるかだ。


どうだろう、少しは心が軽くなっただろうか。そうそう、気楽にやっちゃっていいの。
ロジックをつめつめにするのも大切だけど、感じまくることはもっともっと大切。


具体的な例を上げてみる。私たちの農業ビジネスで言えば、ある品種を今年は植えてみる。ダメだったから来年違うのを植えるなんて繰り返していたらどうなる?登録されているイチゴの品種だけで250品種。2世紀半だ。2世紀半もあれば品種は今の10倍以上になるだろう。永遠に答えは見つからない。無謀にも昨年GRAは10品種近くは作付した。ほとんどがダメ品種。だけど光り輝く3品種が1年で3品種見つかった。

■組織の中にいながら新規事業に挑戦するにはどうすればいいか
プライベートの挑戦ならともかく、組織の中でどうやって失敗を許してもらうのか。あるいは新しい挑戦を許してもらえるのか?

ここで私が東京で経営する会社で働く25歳のKさん(男性)と24歳のMさん(女性)を紹介する。二人は実にうまく新規事業に取り組んでいる。

会社の伝統的本流事業から外れた新規事業に対する風当たりは厳しい。会社が行き詰っていて活路を見つけ出さなければならないようなタイミングでも新規事業を起こすのは大変だ。しかもすぐにキャッシュを生まない活動は、全社の賛同はなかなか得られない。だからと言って、想いだけで突っ走っては全然だめだ。それを上司にぶつけて玉砕しては元も子もない。では具体的にどうするか。

■潜水艦方式でいこう
先に紹介した二人は自分たちが取り組みたい新規事業に対してコアタイムを使うのではなく、早朝の1時間半をそれにあてている。おまけに私の時間も週に1回早朝1時間半確保して毎週3人で朝会をやっている。既存事業をまったくおろそかにすることなく虎視眈々と新規事業を考える。つまり潜水艦方式(サブマリーン作戦)を実行している。それもオフィスではなくカフェやファミレスでワイガヤと楽しくやっている。始業時間までには完全に終わるこのイベントを私たちは「クレイジー朝会」と呼んで大切にしている。

私も二人に突き上げられるから、眠いけど朝早く起きていく。彼らとはもう半年以上、朝会を続けてきたが、どれだけ新しいアイデアや事業が出てきただろうか。数えきれないくらいだ。

私じゃなくても、普通の上司なら熱意をもって新規事業にトライする若者を放ってはおかないだろう。

二人には思いきって挑戦してもらうようにしている。ステップ論を押し付けて簡単な仕事ばかりやらせていたら、彼ら彼女らの成長スピードを奪ってしまう。だから失敗してもいいから思い切って難しく面白そうな仕事をわたす。

不思議と「絶対にうまくやれよ。」と言って仕事をわたすより、「失敗してもいいから思い切ってやれ」と任せた方がうまくやってくれることが多い。心のリミッターを解除してあげられるから、潜在能力を100%使ってくれる。結果的に思い切った施策と成果をもたらしてくれている。

彼らが何か特別なことをしたかといったら全くそうではない。彼らは社内の制約を守り、しかも毎月の数字(営業予算)を達成しながら、かつ新規事業に取り組むための工夫として「クレイジー朝会」を続けている。誰からの押しつけでもなく自分自身で勝ち取った結果だ。企業の中で起業家のように生きる方法もいくつもある。

さあ、今すぐみんなで挑戦をスタートさせよう!


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レジェンド橋元インドに立つ

■レジェンド橋元、インドに立つ。

インド人スタッフに人気の橋元忠嗣
GRA創業者の橋元忠嗣(66)と橋元洋平(36)がインドに降り立った。この景色を3年前に誰が想像しただろうか。3.11で家族をそしてイチゴ畑を失った2人がJAPANテクノロジーを駆使したイチゴハウスを背にインドの大地を踏みしめている。

橋元忠嗣(66)は東日本大震災で家屋とイチゴハウスのすべてを失った。橋元洋平(36)は愛娘が津波にのみ込まれた。私が彼らと同じ状況にさらされたらと思うと、言葉にならない。両橋元と会社を設立したのが今から約2年前の2012年1月のことだ。

震災前、オールド橋元(忠嗣)は、親の代からのイチゴ農家で山元町でも屈指の作り手だった。数十件の農家を束ねる出荷組合の品質管理責任者も務めていたほどだ。ヤング橋元(洋平)は町の社会福祉協議会の職員として働いていた。


インドで奮闘する橋元忠嗣
震災後、私は彼らと一緒に農業生産法人GRAを立ち上げることになる。彼らがステップ論で物事を考える人だったら、決して創業の選択をできなかっただろう。(参照:「ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!」)橋元忠嗣は保守本流的な出荷組合(JA系)を脱退し法人に参画。橋元洋平は新卒で入った難関の準公務員的地位を惜しげもなく譲り、GRAに参画した。そして私と一緒に数億の連帯保証をして創業資金を創った。

震災後の混乱期において、オールド橋元が普通のイチゴ農家であれば、安定した出荷組合に属したまま100%の補助金で再興する道を選んだだろう。ヤング橋元も公務員の地位を保ったまま、復興に力を注いでいただろう。


■なぜ両橋元は挑戦する道を選んだのか
震災があったから両橋元が一歩踏み出す勇気をもてたかと言ったら、それはまったく違う。特別な体験が無ければ一歩踏み出せないというのは間違いだ。むしろ震災後、多くの人々は保守的になってまったく身動きがとれなくなっていた。そのような中で、何億円もの連帯保証を抱えて前のめりに挑戦したのが両橋元だ。大切なのは二人の熱いこころざしだ。「東北に新しい産業をもたらし、山元町を世界に発信したい」その志と想いに尽きる。


■国境も人種も越えて、想いは必ず伝播する。

インド人スタッフに囲まれる橋元忠嗣。
インド人は彼のことを「レジェンド」と呼んでいた
橋元忠嗣(66)は、今インドの大地を踏みしめている。山元町で培ってきた技術を惜しげもなくインドの貧しい農村のために広めようとしている。

橋元忠嗣がインドの農場に訪れた瞬間、インド人スタッフの目の色が変わった。彼ら彼女らは橋元忠嗣に食らいつき、あらゆるイチゴに関する知見を引きだそうとしていた。忠嗣も本気でそれに応えた。言語や人種そして宗教の違いなんてまったく関係ない。橋元忠嗣の存在自体が、インド人を奮い立たせた。多くを失い、仮設住宅に暮らしながら、自分の家を建てる目途もついていない彼が、インドの貧しい農村の人々に尽くす。言葉が見つからない。


■組織の中にいても挑戦は可能なのか?
この問いに私が答えるのは本当に難しい。なぜなら私は大企業で働いた経験が一度もないからだ。ヒントになるかはわからないが、私にとってかけがえのないパートナーの大企業で働くW君(36)を紹介する。

1年前、彼は日本のいわゆる伝統的大企業の中のコンサルティング事業部で働いていた。彼は開発国でのBOPビジネスを立ち上げて雇用を創るという壮大なこころざしをもっている。GRAがインドでのBOP農業ビジネスに参画するにあたって、彼は大企業にいながら私たちに側面支援を続けてくれていた。

いよいよ本格的にGRAが億単位のバジェットでインドでのBOPビジネスをスタートさせるタイミングで、彼はGRAへの入社を考えた。しかし、創業したての農業ベンチャーが伝統的大企業のような報酬を支払えるはずもなく、家族を抱える彼は迷いに迷った末、プロジェクトの成果を最大化するために大企業にいながらにしての側面支援の道を選んだ。

彼の凄いところは、ここからだ。

事業部を何か月もかけて説得し、見事に社内のCSR部門への異動を勝ち取った。今現在、彼は側面からではなく、GRAのパートナーとして一緒にインドでのBOP農業ビジネスに取り組んでいる。

彼がCSRへ異動し事業化への検討まで進められているのはなぜか?運じゃない。誰よりも熱い想いだ。想いが保守的な伝統的大企業の人事を動かしたのだ。もちろん、企業に属する限り想いだけではだめだ。特にCSR的取り組みにおいては、プロジェクトが中長期的に企業にどれだけ貢献するに対して、明確な責任を持って挑む必要がある。ただただ暴れていたのでは、後ろから誰かに刺されてあなたの挑戦は犬死に終わるかもしれない。


■若い私たちが挑戦しない理由なんてひとつもない
66歳の橋元忠嗣はインドでゼロからの挑戦をスタートさせた。英語もわからないし、インドに来たのも初めてだ。だけど、他のどのメンバーよりもインド人メンバーを奮い立たせた。それはなぜだろう?答えはシンプルだ。誰よりも想いが強いからだ。そこに理屈はない。想いやこころざしは国境を超える。彼を見ていると、若い私たちが、国境を超えて挑戦しない理由なんて一つもない。

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そして、もしあなたの年齢がいくつだとしても、新しいスタートを切ることに遅すぎるということも早すぎるということも絶対にない。10代、20代そして私のような30代は言わずもがな。40代だって50代だってそうだ。大きな挫折を味わったとして、何もかも投げ出したくなる時もあるかもしれない。そんな時は橋元忠嗣と橋元洋平を思い出して欲しい。

99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る。絶対に実る。

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ステップ論じゃなくて、いきなり世界に飛び出そう!

やがては世界で勝負するぞ!と言っているだけでは、おそらく死ぬまで世界には出ていけないだろう。最近学生さんと話す機会が多いが、彼ら彼女らの多くも人生で一度は世界で勝負したいと考えている。

そこで彼らがいつも言うのは、まず英語の勉強をして数年以内にTOEICで800点を取る。次に海外でMBAを取得し、海外転勤のチャンスを待つ。海外に行くことができたら、そこで自分のやりたいビジネスを考える。つまり、完全なステップ論で自分の将来を考えている人が多い。

一歩一歩課題をクリアしていく。ステップ論は誠実だし、努力家の象徴、成功への架け橋のように聞こえるけど、実は全然そうじゃない。しかも一度レールをそれてしまったら二度とそこには戻ってこられなくなる危険性をはらんでいる。想像の域がステップバイステップを超えることがないから、踏み外した時にカムバックできなくなる人もいる。

ここで私の経営する会社(GRA)で働いているK君を紹介しよう。K君とはじめて出会ったのは今から1年半ほど前で彼はまだ大学4年生の21歳。私は彼の前のめりで猪突猛進な感じが何とも好きで、アシスタントとしてインターン(アルバイト)をしてもらうことにした。

彼は、私にべったり張り付き、トップマネジメントのあらゆる意思決定の現場に同席してすべてを吸収しようとしていた。彼にとっては得難い機会だったに違いない。私もあらゆることを彼に話した。

GRAはちょうどその時期、インドでのプロジェクトが2年目に入ろうとしており駐在スタッフを募集していた。文化も宗教も習慣もまるで違うインドで現地のスタッフと英語でコミュニケーションしながら農場を運営するというタフな仕事だ。

私は、そのK君にその候補として声をかけてみることにした。彼は大学院への進学が既に決まっており、それを蹴ってインドに渡るというのは大きな決断だ。もちろん、田舎から彼を見守っている親御さんの立場にしてみれば、大学院に行かずにインドに行くなんて信じられない話だろう。

彼は反対する親御さんを見事に説得し、インド行きの切符をつかんだ。その時の彼は英語もまだまだ、いわゆる猪突猛進でやんちゃな若者だ。

3か月後、彼はインドに旅立った。約1年の駐在中、見事に結果を出した。今ではインド人とのコミュニケーションを英語で難なくこなし、GRAの海外事業において重要な人物として成長している。あの時の彼の一瞬の意思決定と行動。わずか1年で彼が何倍速で成長したかを想像してほしい。言うまでもなく彼はグローバル人材に成長した。私にとっても、とっても嬉しいことだ。まさに経営者冥利に尽きる。

ここで言いたいことは

1.チャンスが来たら前のめりに挑戦する。そして、その波にのりながら自分を鍛え上げよう。人生で同じ波は二度と来ない。
2.能力開発の後で・・・は多くの場合逃げの論法だ。開発しているうちに、最初に身に着けたものはすべて忘れて、場合によっては天国に行きになってしまう。
3.地方で成功→東京で成功→アジア→世界なんて順番はどうでもいい。アジアに進出することは仙台から福岡に出ていくぐらいの感覚でいい。世界と直接つながろう。


1・2については前段で触れたので3番の「世界で直接つながる」を深堀する。GRAでは創業わずか2年にしてインドでの施設園芸でイチゴの栽培に成功し、中東へも進出しようとしている。もちろん、日本国内でのビジネスが完全に軌道に乗っているはずもない。

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不思議だと思われるだろうが、GRAにとっては普通だ。宮城でも福岡でも栃木でもインドでも、そして中東でさえも、イチゴは条件さえうまくコントロールできれば育つ。大切なのはマーケットだ。マーケットがどこにあるかだ。今現在、世界のどこにチャンスがあるかが大切だ。ステップ論でそれを追っかけているうちは永遠にチャンスをものにすることはできない。

ではどうやって最初のチャンスをつかむのか?

またK君を引っ張り出そう。(彼はいまごろくしゃみをしているに違いない)
彼の特徴はとにかく動く。動くというのは、そこがどこであれ、インドでも日本中どこでも僕が行くぞ!と言ったらついてくる。だから私はあらゆる機会に彼を私のビジネス相手に紹介することができる。(しかも、アシスタントではなく若手ナンバーワンとして紹介する。)彼の視座はその度に上がっていく。経営者的視点を身に着けることが出来る。

そして、彼は私の投げたボールをすべて打ち返す。細かな指示であればそつなくこなし、おおきな方針を示せば、大胆に行動し結果を出す。物おじせず、ときに猪突猛進に失敗をすることもあるが、それに余りある行動力。私はK君が近い将来GRAの経営チームに入ってくれる実力をつけてくれると信じて疑わない。

そう、失敗してもいいから、思いっきり攻めようよ。人生たったの一回だからね!

誤解が無いように書いておくが、彼が特別ラッキーだったわけではない。とにかく動いて動いて動きまくる。だからチャンスがやってくる。偶発的必然なのだ。チャンスは動きまくって考えまくる人にどんどん降りてくる。それは誰であっても何処であっても、あなたが何歳でも完全にフェアな世界だ。

Anyway、とにかくみんなで動きだそうよ。失敗してもいいじゃん。死ななきゃなんとかなるでしょ。一緒にどきどき、わくわく、甘酸っぱい人生、そして世界を創っていこう。



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大企業とベンチャー企業のコラボが上手くいかない理由

伝統的大企業とベンチャー企業のコラボにおける理想と現実

ヒト・モノ・カネのアセットを潤沢に抱えているはずの伝統的大企業。斬新さとスピード感に溢れるはずのベンチャー企業。ふたつがコラボすれば、いかにもイノベーション的なものを起こせそうな気がするが、実際はなかなかうまくいかないようだ。

理想は、
<ベンチャー企業>
スピード感と斬新さに溢れるけど貧乏なベンチャーが、独力では1000年かかっても得られないような大企業のアセットを次から次へと引きだし、一気にジャンプする。

<伝統的大企業>
アセットはあるけど「時代に応じた編集」をしきれない大企業がベンチャーのスピード感とハチャメチャ感にのっかりアドベンチャーして新領域を開拓する。

いかにもうまく行きそうな話だけど、そう甘くはないようだ。多くのコラボが道半ばで倒れる。しかも計画の段階でダメになる。どうやったらうまくいくんだろう。

そんなことを悶々と考えながらfacebookのタイムラインを眺めていたら、師匠の田村誠一さんと友人の菊本洋司さんを発見した。

facebookでのやり取りをコピペする前に、登場人物の二人をざっくりと紹介する。

田村誠一
アクセンチュア エグゼクティブパートナー(戦略コンサル)→企業再生支援機構 マネージングディレクター(再建屋)→JVCケンウッド最高戦略責任者(伝統的大企業)
愛称:たむ
特徴:ビジネススクールで学生を調練するのが大好きなドSの側面と、いかにも大変そうな会社を選んで飛び込んでいっちゃうドMの側面を併せ持つ。

菊本洋司
日本ヒューレット・パッカード(昔はかなりいい感じだった会社)→VMware(今現在イケイケの会社)
愛称:きくちゃん
特徴:超ポジティブで、一緒にいるだけで元気になれる。


以下facebookからのコピペです。



岩佐 大輝:田村 誠一さんに質問。伝統的大企業とベンチャーのコラボのKSF(コツ)を3つお願いします。いろいろなパターンはありますが、典型的なやつ。

田村 誠一:男女関係と同じです。
(1) 相手に何を期待するのかではなく、自分が何を提供できるのかを考えること、
(2) 短所は見て見ぬふりをし、長所を誉めること、
(3) 一度に多くの成果を求めず、小さな成功を積みあげていくこと。

岩佐 大輝:田村さん、それだ!

田村 誠一:今、大企業にいて、ベンチャー企業とJV作ったり、ベンチャー企業に出資したり、はたまたVCにLP出資したりするなかで、そう感じます。

岩佐 大輝:ありがちなのは、
(1) 相手から少しでも多くのものを得ようともたれかかり、
(2) スピード感と仕事の精度の違いを罵り合い、
(3) 最初から完璧なビジネスプランを創ろうとすること。
かな。

田村 誠一:だよね~

岩佐 大輝:田村さん、もういっこ質問。大企業側の担当者に必要な能力や資質があれば3つ。

田村 誠一:
(1) 東北東に12キロ進め、ではなく、取り敢えず東に向かおう、と言えるいい加減さ、
(2) 意思決定に執着せず、平気で朝令暮改する無神経さ、
(3) 役割分担に無頓着で、何にでも首を突っ込む図々しさ。
少ないけど、ときどきいます。大企業にも。

田村 誠一:むしろ、日の当たらない部署のヒトのほうがいいかもね。

菊本 洋司:相手のことを考えられる人って、会社の規模を問わず大事ですね。

岩佐 大輝:なるほど。それができそうでできないむずかしさは大企業の担当者が、
(1) 担当者が減点主義で評価されるからアップサイド狙ってもインセンティブがない、
(2) エンパワメントされ切ってない(にぎれてない)からざっくり感では進めない、
(3) そもそもベンチャーと一緒なんてどうしていいか分からない、
とかありそうですね。

岩佐 大輝:大企業では本流からはずれちゃって、もはや失うものがない状態で暴れている人の方が、大企業のアセットをうまく引っ張り出して有効活用できていたりするかもしれないなぁ。思い切りもいいし。

岩佐 大輝:そそ、菊ちゃん、何万人いる大企業×ベンチャーでも、接点は担当者×担当者ですからね。人ですよね。

菊本 洋司:最近、『起業家のように起業で働く』って本を読んだところなんだけど、企業でリスクをとって社外リソースを活用できる人が超重要だと。企業規模のギャップがあるほど、同じ景色を共有出来る両者の担当者が超重要なんだろうねぇ。

岩佐 大輝:まとめると、ベンチャーの創業経営者がどんだけアホかを理解するために、最初に僕の本を読むことですね。ふふふ。皆さん今日も素敵な一日を!
≫Amazonで購入する『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』







ベンチャーの創業経営者も大企業を知る努力をすべし

僕がベンチャー経営者ということもあって、このfacebookを見ると大企業もっと頑張らなきゃという論調が強いように見えますが、もちろんベンチャー経営者も大企業を理解する努力をしなければならないのは同じですよね。

ということで、男女の関係のように甘酸っぱく、大企業とベンチャーのコラボを実現させてイノベーションっぽいことを起こしましょう!


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博多の「あまおう」や栃木の「とちおとめ」では世界で勝負できない理由

■産地ブランドだけでなく「ジャパンブランド」を育てよう

日本の産地間で繰り広げられている壮絶な農産物の産地間競争。切磋琢磨するその姿はとっても微笑ましい。だけど国をまたいで産業として戦うためには大同団結的な産地間連携によって「ジャパンブランド」を育てることが必要だ。

産地間競争はとっても微笑ましいけど、一歩国を出て俯瞰してみると少々もったいないと思うことが多い。事実、日本の農産物は世界中で評価が高く、特にASEANの親日国などでは最高級品としてのポジションを確保しているのだが…。

■世界で無名な日本のイチゴ

だけど、残念ながら超ニッチ。わかりやすいから日本のイチゴの例。シンガポールや香港の高級食品店に行くと随分幅をきかせているように見える日本の高級イチゴだが、数字でみると輸出額は年間たったの2憶4000万円。輸出量も120トン/年間。これはちょっと規模の大きい農業生産法人1社分程度。とても輸出産業とは言い難い。
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日本のイチゴはほんの少ししか輸出できていない

具体的にシンガポールの例を見てみる。シンガポールは赤道直下。冷温性作物のイチゴを育てるのは大変難しいため、その需要のほとんどを輸入でまかなっている。日本の食文化が大好きなシンガポール。マーケットは日本のイチゴで埋め尽くされていると思いきや、輸入量に占める日本イチゴシェアはたったの0.3%(約10トン/年間)。トップは断トツでアメリカが約50%(約1500トン/年間)のシェアを取っている。2位が韓国30%。日本のイチゴは目立つ棚にならんでいるけれど、実際にシンガポール人の胃袋を占めているのはアメリカと韓国のイチゴちゃんなのだ。


■本当に日本の農業は輸出産業になれるのか?

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クールジャパンムンバイで日本のイチゴに集まるインドの人々
なぜこんな状況なのか。問題の一つに産地間が連携してまとまった量を確保し、それを国ぐるみで売る体制がまだできていないことだ。シンガポールで消費される日本産イチゴの10トンなどは当社GRAの小型ハウス年間生産量1棟分に過ぎない。最低限、航空貨物コンテナ(5トン)で毎日送り出す位でなくては輸出とは言えない。

もう一つ理由を上げると、日本の農産物は高級品棚だけに並んでいればいいから、品質だけを維持して少量を送っていればいいというそもそものビジョンの問題。はっきり言って隣国の農産物の進化は凄まじいものがあり、ちょっとくらいの品質優位だけで中長期に戦うことは不可能だ。価格が高い日本の農産品が棚から追いやられる日は近いと思ったほうがいい。

産業として農業を成立させるには「点」ではなく「面」を取る覚悟で攻め込まなくてはならない。つまり単価の高いものだけをライフルで打ち込むと同時に、まとまった物量を送り込むことで、ナパーム弾のように面をざっくりと獲る戦略も必要だ。(いつもたとえが悪くて申し訳ないが)。


■さて、どうする? 「世界の中の日本の農業」。

「批判ではなく提案を」ということで、解の方向性をいくつか出してみる。

・品目別に産地間連合をつくって広域でまとまった量の輸出向け産品を確保し、「ジャパンブランド」ポートフォリオをつくろう。世界で戦うための戦略作物を選ぶ際は「市場の大きさ」×「日本産品の競争優位」の単純な2軸で選べばいい。その際には、決して輸送による果実の傷みやすさ、日持ちの悪さなど考慮しないことが大切だ。その前提は輸送技術イノベーションの邪魔になる。では誰がプレーヤーになるのか。

・バリューチェーン(生産・輸送技術・マーケティング・販売)毎に強力なプレーヤーでドリームチームをつくり、まずは1つの産品だけでいいからある1国でトップシェアを取ってみよう。

・農業生産法人は世界市場を視野に入れて経営ビジョンを立てよう。トップダウンではなく、ベース(バリューチェーンの元の方)から攻め上がるのが中長期的には一番パワフルだ。


今回はここで筆を置くが、拙作『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』でGRAの海外での取り組みを紹介しているので是非読んでみてほしい。何らかのヒントになればうれしい。

(文中の数字は農水省統計、財務省統計およびジェトロ流通構造調査リポートから)


【関連サイト】
岩佐大輝公式サイト
岩佐大輝著「99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る」特設ページ
食べる宝石 ミガキイチゴストア(Yahoo!ショッピング)

オランダの農業を真似しても日本の農業が強くならない理由

オランダは九州程度の面積しかない(九州:約42,000㎢、オランダ:約41,500㎢)のにアメリカに次ぐ世界第二位の食糧輸出国だ。日本にできないはずがない。目指せ農業輸出額1兆円。オランダを真似よ!・・・いや、ちょっと待ってほしい!そこには、いくつかの罠がある。


■議論の前にオランダと日本の地理的な条件の違いを知ろう

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オランダとその周辺
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日本
前回に引き続き、日本の農業の未来を突っ込んで考えてみたい。まずは日本とオランダの置かれている環境の違いを考えなくてはらない。オランダは広大なユーラシア大陸の一部であり、隣国とは陸続きだ。ヨーロッパ中に張り巡らされたハイウェイを使い、わずか数百キロをトラックで運んだだけでそれは、「輸出」になる。輸出額が大きく見えるのは当たり前だ。東北の農産品を東京の大田市場に運んでいるようなものだ。しかも、一千数百万しか住んでないオランダで内需は薄く、しかも隣国とは陸続きで関税もなければ通貨も同じ。額の大小で議論する場合は、前提となる環境の違いを正確にとらえなくてはそもそも議論の拠り所からして間違ってしまう。


■オランダの単位面積当たりの収量が極端に高い理由

オランダは確かに最先端の農業技術を保有し、単位面積当たりの収量はとんでもなく高い。トマトなどは同じ面積で日本の数倍は穫れる。日本の1000㎡あたりのトマトの収穫量は品種にもよるがよく作っている人で20トン。対して、オランダは1000㎡あたり70トン以上穫る農家がざらにいる。その収量を支えているのは産地および農業施設の大規模化・クラスター化による熱やCO2などの有効利用。そして何より作付品目の少なさだ。つまり、極端に限られた種類の農作物を大規模な施設で大量生産している。栽培品目の選択と集中は研究開発、施設建設、栽培、輸送そして販売に至るまでのバリューチェーンのすべてにおいて、コスト低減効果を生む。

では、なぜオランダと日本の作型にそれほどの違いが生まれるのか。やはり地理的な条件の違いが大きい。オランダは葉物野菜のような日持ちのしない作物を簡単にフランスやドイツなどの土地利用型の農業大国から陸続きで輸入できる。少し足を延ばせばスペインもある。したがって、作る品種を極端に絞っても、なんの問題もない。極端な話、自国内の生産を全部輸出向けにすることだって可能なのだ。

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ちなみに、日本ではイチゴだけでも250以上の品種が登録されており、しかも品種ごとに細かく栽培方法が異なっている。ほとんどマニアックといっていいような世界がそこにある。しかも、味の良さを第一にして育種しているから、栽培管理の手間(コスト)を削減するような思想で作られている品種もほとんどない。果実もやわらかいから国内輸送すら一苦労だ。

もし日本で、作る野菜を5つに絞ったらどうなるか。その他の95を全部、島の外から運んでこなくてはならない。そんなことが出来るわけがない。葉物野菜などは穫ったその瞬間から痛みはじめて数日後にはヘタへタになる。海の向こうから全部飛行機で運んでくるわけにもいかないし、船で運んできたら船積みしている間に全部腐ってしまうだろう。


■効率性だけでははかることのできない食材としての付加価値

日本の野菜は超スーパーデリケートだ。外国人でコシヒカリとひとめぼれの差を云々と議論できるような人はまず見たことがない。博多のあまおうと栃木のとちおとめの差を云々と議論できるような人はもっと少ないだろう。デリケートっていうのもビッグワードだから、本当は気を付けなければならないんだけど、いわゆる日本食としての食材の選び方はとっても繊細な部分で勝負が決まるだろう。

僕はイチゴ農家だからもちろん日本で生産されているほとんどの品種と、海外産でも有力な品種ならば食べただけで言い当てることができる。だけど海外のイチゴ農家は決して同じことが出来ない。それは当たり前で、そもそも日本の農業とオランダの農業では、勝負のルールが違うのだ。オランダは徹底的な大量生産によりコスト競争力を高めて対外競争力で勝負する。日本は、国内の繊細でバラエティーに溢れる食文化が求める需要にどれだけニッチに応えられるかで勝負する。日本刀は切り殺す。サーベルは突き殺す。同じ農業生産でもルールが違えば戦い方が異なるのは当たり前だ。


■ではどこに農業産業化の活路を見出すか

これは次回以降のテーマにしたいが、端的に言えば日本のブランドおよび食文化そのものの輸出が解の一つになるだろう。しかも、ホンモノを世界中に展開すること。これは、殆どゼロスクラッチからの挑戦に近いと思ったほうがいい。ジャパンブランドの認知度はアセアンなどの一部の地域を除けば、まだまだマイナーだ。私たちGRAの海外部隊もその一点で勝負をしている。

インドでの取り組みは前回の「<COOL JAPAN>ムンバイで日本のイチゴが大ブレイク」に詳しく書いた。そして、今年は中東地域でジャパンブランドを広げていくことをスタートした。これは、先日上梓した『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(岩佐大輝著 ダイヤモンド社)が詳しい。

次回以降、日本の農業が活路を見出すための具体的なハウに迫ってみる。


《参考リンク》
岩佐大輝オフィシャルサイト
『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』

東北をアジアの食材供給基地にしよう!

■被災地に立ち込める暗雲の正体

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震災から3年がたち、東北、特に被災地ではボランティアツアーなどが一段落し、震災直後のようなソワソワ感がなくなりつつある。その代り、ダンプや重機が所狭しと走りまわる少し乾燥した風景。震災の教訓は決して忘れてはならないが、出来事自体の風化はもちろん避けられない。大量の復興マネーがかろうじて経済を支えているように見えるが、それもあと数年。善悪の問題ではなく、カネの切れ目が縁の切れ目になる場合も多いだろう。そんな中、自走自立の強いビジネス、そして経済がなくては、東北の未来はちょっと残念なことになるだろう。


■総花的でだらだらとした投資を今すぐやめよう!

批判ではなく提案を!ということで、一点突破主義で産業を光り輝かせるために私たちは何をしたらいいかを考えてみる。まず、東北が輝き続けるためには総花的でだらだらとした投資を今すぐにやめて、戦略的につまり究極的な産業の選択と集中を行う必要がある。これにはひどい痛みが伴うが、致し方ない。

その理由は明確だ。プレイヤーが圧倒的に不足しているからだ。国や自治体から委託を受けた研究機関が机上でプランニングした東北の未来プランに、殆ど現実味を見出せないのは、多くの紙にその産業を担うプレイヤーの顔が見えてこないからだ。例えば、人口が震災後から20パーセントも流出している町で、「観光で街づくりをしよう!」なんてことが平気で書かれている。考えても見てほしい。
自分の町の住民すら、つなぎとめておけない町に、なんでよそから人を呼んでこれるんだろう。


■結局、強い産業基盤に支えられた雇用が伴わなくては町からは誰もいなくなる

金をどれだけばらまいても、町にそわそわ感が戻ってこないのは、とんがった産業が育っていないからだ。定常的な雇用も育たない。復興需要で働き手は集まっても、その家族がついてこないのはどういうことか。働き手もそこを定常的な生活の場所として選んでいないからだ。緊急的な雇用が一過性であることは誰にでもわかる。

厳しいようだが、私たち東北人はあの大震災をも、そろそろ外部環境の一つとして冷徹に捉え、産業を作っていくことに舵を切らなければ、次の3年後は絶望的な衰退が待っている。

99%の絶望の中に1%のチャンスは実る
昨日、『99%の絶望の中に1%のチャンスは実る』(ダイヤモンド社)を上梓した。この本にはどうやって下り坂にある町づくりを再び盛り上げられるか、一点突破の戦略構築方法を書いた。これはすべて私自身の経験に基づいた真実のストーリーだ。これから地域活性化に取り組む都会のビジネスパーソン、既に地方で取り組んでいるプレーヤーの皆さんに是非読んでもらいたい。何らかのヒントになるかもしれない。



■東北をアジアの食材供給基地にしよう

さて、そんな中でいくつかの希望が発掘されたとすれば、しかも震災前よりも注目度が高まったものは何かといえば、それは間違いなく農業・漁業などいわゆる一次産業だ。しかも特徴は超ニッチだけど、つぶ揃い。個々はすごい競争力をもったものが勃興してきている。三陸の漁業、宮城南部の大規模イチゴ団地から出たラグジュアリーイチゴなどはその典型例だ。ただし、ここでも一部で残念な現象が起きている。オランダ型の大規模施設園芸をただまねればいいという発想だ。大規模集約化だけに答えがあるような論調さえある。これは間違っている。

次回以降、東北そして日本が目指すべき農業の姿を書いていく。

ビジョンのつくりかた― “〆切” “大事なことを数字に” “自分ごと”

■ひとを動かすビジョンをつくる3つのポイント


東北エリアに、10年間で100社10,000人の雇用を創出します。
僕がこのGRAのビジョンをつくるさいに考えた基準が、3つある。

時間軸(〆切)
・いちばん大事なことを、数字にする
自分ごととして考えられるものにする

である。時間軸については前回書いた。残り2つを紹介しよう。


なぜ「100社10,000人」なのか?
もちろんこれは「10年100社10,000人」というのがわかりやすいから、ということもある。
ただもっと重要なことは、これが「雇用」をいちばん大事な指標、いわゆるKPI(Key Performance Indicator)にしていることだ。

地方の活性化、東北復興を考えたとき、もっとも重要なのは経済だ。
長期にわたって、近くで働いてお金を稼ぐ場所があること。それがあれば町は豊かになるし、生活が安定すればひとは都会に出ていかなくても済む。結婚してこどもをつくって育てる環境が、その地域にできる。だから、経済的な指標、なかでも雇用をビジョンのなかに盛り込んだ。

ことわっておけば、「100社10,000人」を、すべて自分たちでやる、という意味ではない。
まずは自分たちが農業を中心とした事業において成功事例となることで、地域社会、とくに東北に対して刺激を与えたい。
その結果として、触発されて僕ら以外にも起業するひとたちがどんどん出てくれば、あたらしい会社が100社でき、10000人のあたらしい継続的な雇用ができる。東北に若い起業家が現れて、地域に根付いていく。僕たちは、そういう未来をつくりたい。

つまり、ビジョンのつくりかたのふたつ目のコツは、「いちばん大事なことを数字にして盛り込む」ということだ。
ビジョンを定量的な数字に落とし込むと、緊張感が出てくる。いつまでにこれくらいやらないと、という意識がうまれる。

それに、対外的にも言うことで「できないとヤバいな」と思ってがんばれる。
家や親族を亡くされ、立ち上がろうにもできないという被災者のほうがはるかに大変だから、僕たちはそれくらいの努力はしてしかるべきだろう。

別に壮大なものじゃなくてもいいから、農業に関心をお持ちのみなさんも、自分(たち)なりに、ビジョンを考えてみてほしい。
どこかから借りてきたような壮大なものである必要はない。
自分の原体験や、地元の文化・産業に由来する、ウソがないものがいい。
そのひとたち、その地域の特色を活かしたビジョンでないと、ひとは「自分ごと」として考えられない。すると、空虚なものに終わってしまう。


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ビジョンのつくりかたの三つ目のコツは、
「『自分ごと』として考えられる、自分たちにもともとあったものを活かす」こと。

僕は農業を始める以前は東北出身の起業家として、10年IT企業の経営をやってきた。
NPO法人GRAの母体は、僕が通っていたグロービス経営大学院というビジネススクールの社会人学生だから、MBAホルダーのビジネスパースンが多い。

東北エリアに、10年間の活動で、100社10,000人の雇用を創出します。

このビジョンなら、僕らの資質やスキルが十二分に活かせると確信したから、採用した。
・時間軸(〆切)
・いちばん大事なことを、数字にする
・自分ごととして考えられるものにする

この3つの観点から、ビジョンを考えてみてほしい。

もちろん、そうは言っても、ビジョンだけあっても実際に行動しなければ意味はない。
次回は、僕らが就農一年目の経験をお話しようと思う。
成功ばかりではなかった。僕らが直面した問題を洗いざらいお伝えして、これから農業を始めようと思っているひとたちがよけいな苦労をしなくて済むようになればいいと、切に願っている。

<COOL JAPAN>ムンバイで日本のイチゴが大ブレイク

インドのムンバイで開催されたクールジャパンフェスティバルに出展した(1月17日~19日)。農業生産法人のGRAが何故クールジャパンイベントしかもインドに出展したのか。


実を言えば、GRAは2年前から既にインドでイチゴの生産と販売に取り組んでおり、高級ホテルなどへ販売している。僕らのイチゴの評価は高く、生産が追いつかないほどのオーダーが毎日のようにホテルから飛んでくる。

ホテルへの販売を通じて、生のイチゴはインド人に受け入れられることが十分わかった。今回のクールジャパンイベントでは、日本の農産物ブランドとしての「イチゴ」が一般の消費者にどのように評価されるかを試すためにイチゴスムージー、白いちご化粧品そしてミガキイチゴ・ムスー(スパークリングワイン)の3商品を展示販売した。


■クールジャパンブランドとして「イチゴベリー」をインドでゼロから育てたい


日本ではミガキイチゴのブランド名で販売しているが、さすがにここインドでミガキ×イチゴはあまりにも突飛なので「イチゴベリー」と名付けた。
日本のイチゴが世界中のどのイチゴよりも甘くスペシャルなことをアピールするために、「イチゴ」×「ベリー」。ストロベリーとは一線を画した。




■インド人にスムージーが飛ぶように売れる


日本と比べてインドの物価は5分の1以下。特に食べ物が驚くほど安いインドで、1杯300円もする僕らのスムージーは飛ぶように売れた。物価差を考えると一般のインド人にとってみたらそのスムージーは感覚的には1杯1,500円以上に見えているはずだ。それが飛ぶように売れる。





ミガキイチゴ・ムスー(スパークリングワイン)は1本10,000円近い価格を設定したが、それでも手に入れようとするインド人でブースは大盛況。(ミガキイチゴ・ムスーはサンプル展示なので残念ながら実際に売ることはしなかった。)白いちご化粧品も好評だった。
インドにもラグジュアリーイチゴマーケットが確実に存在することが分かっただけでも今回出展したかいがあった。そして日本の「イチゴ」がストロベリーとは全く違うフルーツとして付加価値をもって受け入れられる手ごたえを得た。


■GRAが前のめりになって世界に打って出る理由

GRAは東日本大震災後に甚大な被害をうけた宮城県山元町に設立された農業ベンチャーだ。僕らの目標のひとつが日本の農業をグローバルで戦える産業に育てて新しい東北を創ること。


東北では震災前から少子高齢化と都市への人口流出で過疎化が進んでいる。この傾向はここ数年で始まったものではなく構造的なダウントレンドだ。トレンドを上向きに変えるには世界で戦えるレベルの強力な産業を東北に創らなくてはならない。少なくてもそれ位の気概をもたなくてはならない。

スピードは常に相対的なものだ。厳しいようだが東北の再創造は降りてくるエスカレーターを駆け上がるような勢いがなくては成し遂げることはできない。だから僕らは常に電光石火のスピードを大切にしている。


2月にはムンバイのショッピングモールにイチゴベリーのショップをオープンする予定だ。

農業者の皆さん、一緒に世界に打って出よう!日本の農産物は十分世界で勝負できる。挑戦の先にマーケット、ブレイクスルーは必ず有る。




(関連サイト)
農業生産法人株式会社GRA
Yahoo!ショッピング ミガキイチゴストア
ミガキイチゴオフィシャルページ

僕が東北でイチゴづくりを始めた3つの理由

僕は東日本大震災で被災した故郷の宮城県山元町を復興させるために、あたらしく農業をはじめることにした。今では日本の農業全体に資する活動を志すようになったが、始まりは故郷の復興だ。

震災復興といっても、別に農業じゃなくてよかったのでは?と思うひともいるだろう。
なぜ農業だったのか。



■タイミング —加速する限界集落化を阻止するために


ひとつはタイミング、緊急性だ。
故郷の山元町の代表的な産業は、自動車部品産業と農業だった。なかでも、イチゴは約14億円の出荷高を誇っていた。
山元町の毎年の一般予算は40億円くらい。そういう町の中で売上14億は、ビッグな産業である。

でもそれが、地震と津波によって、なくなった。
だから早期に復活させることが重要だった。

山元町は駅舎が津波で流されて線路もめちゃくちゃ、数少ない公共交通機関だった電車がなくなった。
町のひとが持っていた自動車も、もちろん流された。
そうすると、通勤するのも難しい。
山元町は仙台から約40キロ離れたところにあり、バスの本数も少ないからだ。
仕事をしてお金を稼ぐためには、移住するしかなくなった。
震災前からただでさえ町から都市部にひとが流れていっていたのが、加速する。
このままでは、いわゆる「限界集落」になってしまう。

それを阻止して町にひとを取り戻す――雇用を増やし、人口を増やしていくには、もう一回、農業法人をやるしかなかった。



■その事業は持続可能か?その場所で自分たちがやる必然性はあるか?

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農業を選んだふたつめの理由は、事業として長くつづけられるからだ。サステナビリティ、持続可能性がある産業だからだ。
それとも関係するが、三つめの理由は、町の特色が活かせるから。

宮城県では市町村の首長クラスで、震災後にトヨタ詣でをしたりしていた。おそらく、自動車関係の工場誘致のためだろう。
もちろん、「みんな農業をやれ」というのもおかしな話だから、そういう試みを否定するつもりはない。

僕も最初はそういう、誘致型産業を考えた。
でも最終的には、僕らがやることではないと思った。
なぜなら、地元の文化として根付かないし、ビジネスの経験値も蓄積されないから。

誘致型というのは、たとえば本社が東京にある会社のコールセンターが山元町に来たとしよう。
そこで1000人雇用されたとしても、それはそのコールセンターの企業文化で1000人働くだけだ。地元のひとを、一方的に労働力として提供するだけ。
しかも、もし本社都合で引き揚げられたら終わってしまう。
つまり、一過性の雇用は生まれても、地元の経済を回していくものとしては持続可能なものではないし、地域の文化としても、定着しにくい。

自動車工場がなくなって途方に暮れた日産の工場跡地みたいな例が、日本各地にある。
トヨタの愛知県内の工場や、マツダの広島工場はずっとあるだろう。なぜなら、地元だから。
地方への企業の工場誘致がうまくいったとしても、中長期スパンで見れば、僕にはどうなるかわからないものに見える。
事業者にとっては縁もゆかりもない土地だから。

だから誘致型ではなく、町にもともとあったものに活かしたかった。
地域活性化のための産業創造はゼロから100をつくることではなくて、
0.1とか1から100に成長する可能性のあるものを、時間をかけてつくっていくことが大切だ。


われわれ山元町の場合で言えば「1」にあたるものが「イチゴ」だった。
東北には農地がある。畑と田んぼしかない土地が、たくさんある。
だから農業をやることは、東北地域においてはわかりやすい。
そこには、少なくとも数十年にわたってひとびとが築きあげてきた知恵がある。
誘致型の産業では、得られないものがある。

そういう、地元にもともとあったいいものを、僕らが若さとICTとビジネススキルを使ってリファインさせてもらう。
リスクを取れる自分たちがチャレンジしてノウハウを獲得し、次の時代のロールモデルをつくり、地元に還元する。
それができそうだなと思えたのが、僕らの場合はイチゴづくりだった。

事業として長くつづけられると見込め、しかも地元の特色が活かせるものは、商品やサービスとして魅力があることが多い。競争優位性が生まれるのだ。
そこに「今すぐやらなければならない」という緊急性が加わった。
だから、農業だった。

農業をやりたい、地域で新規事業を始めたいという人は、

・タイミングは今か?
・事業として持続可能か?
・自分達が元々持っている特色は活かせるか? 自分たちがやる必然性はあるか?

たとえばこの3つの軸から検討するといいかもしれない。


日本を復興させる、あたらしい農業ビジネスをはじめよう

東日本大震災のあと、イチゴづくりを始めてから、もうすぐ2年になる。
私の仕事は、IT企業と農場の経営である。


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宮城県仙台市から南に約30km離れた山元町に、私の農場はある。

そこで収穫された最高級イチゴは、「ミガキイチゴ」というブランドとして、いちばんいいものは新宿の伊勢丹百貨店などで1粒1050円、6粒5250円(税抜)で販売している。

女性を中心にご好評いただき、2013年は50トンの出荷を予定している。


また、日本のイチゴづくりを世界に輸出しようと思い、西インドにある高原地帯マハーラーシシュトラ州にも農場をつくった。現地の人と協力しながら、日々生産している。
今は試験的に1000平米で展開中だが、計画では今年4000平米まで拡大、目標としては5万平米までひろげていくつもりだ。

東京ドームが4万6755平米だから、それよりも大きい農場がインドにできる。
ワクワクしないだろうか?

インドの次は、サウジアラビアに進出する予定もある。



■故郷を復興したくてハウスを建てた

私が農業ビジネスを始めたきっかけは、2011年3月11日に起こった東日本大震災で、
故郷の山元町がめちゃくちゃになったことにある。


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仙台空港に大津波がやってきて飛行機が流されていく映像をTVで観て、沿岸部にあった山元町がどうなっているのか、気が気ではなかった。
連絡がつかなくなった両親の安否を確認するために、僕は車いっぱいに支援物資を積んで、東京から現地に入ることにした。

そこで目に飛び込んできたのは、地震と津波であらゆるものが失われ、生命が感じられない土地になってしまった……変わりはてた故郷の姿だった。

山元の名産品のイチゴを産み出していたビニールハウスは海の近くにあったので、壊滅的な被害をうけた。
私のおじいちゃんはイチゴ農家をやっていたから、ちいさいころ、よくハウスに連れていってくれた。ハウスのなかで食べたイチゴの甘酸っぱい味、葉っぱのかおり……そんな記憶と結びついていた風景が、消えてなくなってしまった。
山元町には129軒の農家がいたが、125軒が被災。


ハウスだけではない。
町の家屋の半分近い2500棟が全半壊、1万7000人が生活を送っていた町で、人口の5%にあたる600人以上が亡くなった。私のよく知っている人たちも、数えたくないくらい、死んでしまった。
小学校や中学校の同級生の家も、親戚の自動車も、通学に使っていた地元の駅舎さえも、津波はすべてを押し流した。
山元町の沿岸部は、みわたすかぎり、ガレキだらけの土地になった。

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私たちは長い時間をかけてガレキをどけ、畑に溜まった泥水をかき出し、井戸を掘った。
そして整地したまっさらな土のうえに、小さなビニールハウスを建てた。
かまぼこ型のパイプハウスを、手作りで。
2011年の、9月のことだった。
イチゴづくりを始めてから、もうすぐ3年になる。
最近ではメディアの方から「東北復興の旗手」という感じで取材いただくことが、多くなった。




■おもしろくて儲かる農業で、日本を変えよう

これから私は、農業ビジネス・農業経営に関心があるけれども情報がなくて困っている人たちに向けて、具体的なサンプルを、アプローチの仕方を伝えたい。

とくに先端的な農業や、経営としての農業に興味があり、事例を調査したり、これからアグリビジネスに参入しようとしている企業内起業家(イントラプレナー)のようなひとを想定している。
これを読めば、それぞれが農業に対するビジョンが描けるようになるはずだ。


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私は、日本の青年農業人口を1万人単位で増やしたい。

それが日本を変えるからだ。
農業といっても、畑に出て作業するひとだけが必要なわけではない。
農家をサポートし、お金をまわし、おいしい食べ物を消費者に届けていくためには、マーケティングやブランディング、ファイナンスや流通に関わる人材が、もっともっと必要だ。


農業に関わるひとが増えれば、日本が抱えている社会問題のいくつかが、解決できる。
農家が増え、農業ビジネスが活発になれば、地方や途上国に雇用ができて、日本が、世界が元気になっていく。

もちろん、かつての私のように、農業に対する不安や疑問がたくさんある方も多いと思う。それについてもひとつひとつお答えしていこう。私みたいに農業経験がまったくなかったIT出身の人間でもできる。


農業は、儲かる。
経営者として10年以上やってきた私の目からみても、そう言える。
そして、農業をやるのはむちゃくちゃおもしろい。
どういう手順で、何を考えて、どんなふうにやっていけばいいのか、そのノウハウも惜しみなく伝えていくつもりだ。

誰だよお前? という方も、たくさんいらっしゃることだと思う。
そういう方のために、そもそも私がどんな人間なのか、震災のあと何をしてきたのか、みなさんの参考になるようなかたちで、話していきたい。




2013年もそろそろ半分!近況報告

ブログではお久しぶりです。東京も梅雨入りし、じめっとした毎日が続いています。本格的な夏が待ち遠しい。近況報告です。

最近はタイムマネジメントをちょっとだけ頑張ってます。具体的には2ステップ。

(1)リソースの配分

1日を7つの枠に分けます。

1.早朝、2.午前、3.ランチ、4.午後A、5.午後B、6.夕食、7.夜

この枠を基本に、予定を入れていく。「今解決すべき仕事・未来への投資」とか「ヒト・モノ・カネ」とか、「きっちり・だらだら」、「A社・B社・NPO」とか「一人でやる仕事・みんなでやる仕事」、「考える仕事・手を動かす仕事」とか「仕事・プライベート」とかいろんな切り口を使って中長期的なアウトプットを最大化させるべく枠を埋めていく。

もちろん、緻密にやりすぎると管理のための管理になっちゃうから、配分を意識しながら予定を入れるくらいがちょうど良いかな。

そして休みやぼーっとする時間も意識的にとるといいのかも。時間は本当に大切で、管理を超えて統治をするくらいの覚悟が必要なんだよねー。そうしないとあっという間に1年、2年。

上記がリソースの振り分け方。(三谷宏治さんの重要思考とか使うといい)
上田さんからアドバイスをもらいながら改善していかなくては。


(2)瞬間への集中

んで、も一つ大事なのが、時間当たりの生産性を上げること。ここでは「禅」の力を借りる。禅的経営というのは、僕なりの定義をすると、

「ミッションを定めたら、あとは今この瞬間のみに集中する」

これを人生の単位とか年の単位とか1日の単位とか10分の単位とかで。慣れないうちは何かに集中していても未来や過去を行ったり来たりして雑念妄想の虜になってしまう。さらには、経営は結果のみで評価されることを腑に落とした上で、結果への囚われを捨て去るわけだから難しい。

今この瞬間を大切にすることは、実はすごーく難しい。差がつくポイント。だから修行する価値がある。

以下、近況。

■農業生産法人GRA
先端農場が完成してから約1年。様々な課題にぶつかりながらもチーム全員の力で何とか今年のイチゴシーズン終了。有難いことに、マスコミ等でもミガキイチゴやGRAをご紹介いただいたり、インドでの栽培に成功できたり、そして何より多くの方々にGRAにご訪問いただいたりと、躍動感たっぷりの事業運営ができたことがまずとってもよかったです。

わくわくどきどきしていないとね、面白くないよね会社でも何でも。今年からはすべての圃場が稼働しフル生産。本番はこれからです。海外事業もじわっと加速してきます。日本の新しい農業をみんなで創っていきたいですね。これまでの農業の延長線上にその答えがないのがはっきりわかった。同時に日本の農業が底知れぬポテンシャルを秘めていることもわかった。

農業を産業化しないとね。

今年も投資の勢いを緩めるつもりは全くない。攻め切ろうと思います。
興味がある方はホームページへ。
http://www.gra-inc.jp


■NPO法人GRA
代表の私、事務局長の平松も、そしてメンバーの全員が他に仕事を持つNPOがGRA。メンバーには常に本業とのシナジーを感じながら活動して欲しいなぁと思っています。GRAに関わることでしか体験できないことは沢山あります。GRAは震災復興活動がきっかけのボランティアですが、被災地ににあったのは日本の地方が抱える課題が凝縮されたものでした。産業衰退、少子高齢化、低生産性の農業、金のない地方自治、デジタルデバイド、etc。

「GRAは宮城県山元町を起点に 10年で100社10000人の 雇用機会を創るために ヒトづくり、モノづくり、まちづくりに 取り組む共創集団です。」

活動に興味がある方は、是非WEBからでもお問い合わせください。東北だけでなく日本再創造の一翼を担うつもりで一緒に活動してみませんか?気楽に!
http://www.gra-npo.jp


■ミガキイチゴスパークリングワイン

そしてミガキイチゴ100%のシャンパンだ。

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試作醸造品が出来上がってきている。驚くほどうまい。このミガキイチゴスパークリングワインは、原料が希少で大量に調達することが出来ないため、チャレンジスターというクラウドファンディングを使って寄付会員を募り、寄附いただいた方々から優先的にお分けする仕組みにしている。是非一口、応募ください。一緒に乾杯しましょう。

ではまた。

GRA、インドもイチゴ!?(3)

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GRA、インドもイチゴ!?(3)

2013年3月11日、東日本大震災からちょうど2年目の昼に私たちは初収穫を迎えた。今回はしっかりとした仮説をベースに栽培に取り組めたことが大きい。また現地駐在の鶴巻のきめ細やかな管理が素晴らしかった。そして何よりインド人スタッフが素晴らしく、農場のスタッフは英語もITも堪能でコミュニケーションに労がない。収穫の様子はインドのニュースでも放送された。

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<収穫の笑顔 2013年3月 ZEETV NEWS>


1年目にインドで超高糖度のイチゴを収穫までいけたことは十分な成功。次のチャレンジはこれから始まる灼熱の季節にどう耐えるかだ。気化熱冷却は当然だが、ほかにも日本でもまだほとんど使われていない新素材をいくつも使って冷却実験している。今のところ順調だが油断はできない。現在、来シーズンに向けて施設規模を倍にするための準備を進めている。

現在、外資系の高級ホテルに全量を出荷している。日本で言う「ショートケーキ」の上には、インドでは梅干しのような丸いゼリーがのっていたが、それがイチゴに変わった。見た目も見事。もちろん美味しさはぶっとびだ。

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<PUNE市内の外資系ホテル>


このプロジェクトはGRAだけでなくNEC,そしてICAなどから集まった数名のチームで進めている。GRAはその中でリサーチ、施設建設管理、栽培管理を担当している。NECはマーケティングそしてアドミ。ICAは強力な現地でのパートナーだ。

このスピード感はチーム力こそにあり。まさに価値共創。中長期でスピードを維持するためには意地でもチームで動く。自利利他→価値共創→電光石火→実行実現→自利利他・・・。


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<GRA WAY>





GRA、インドもイチゴ!?(2)

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GRA、インドもイチゴ!?(2)

それにしても、インドはいつ行ってもびっくりすることばかりで、高速道路をゾウさんが逆走してきたりとか普通だ。田舎も好きだけど個人的にはデリーやムンバイそしてコルカタの雑踏が好き。インドの魅力は多様性にあり。ほんといろんな人がいる。蛇つかいのおじさんとか、特に味わい深い。


さてイチゴの話。インドのイチゴは露地栽培がメイン。南インドでは、11月に定植し5月位までに出荷のピークを迎える。品種はほとんどがカリフォルニア品種。最近ではイタリア品種も多い。


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農村のおばちゃんたち(2013.03.21岩佐撮影)


イチゴは仕事のほとんどがどうしても手作業。インドの農村労働者のほとんどはおばちゃん。朝から夜遅くまでほとんど休むことなく、日本のようにきびきび作業してパッと切り上げるという概念はなく、とにかくゆったりだらーっと作業が続く。話すこともしない。本当にご苦労様なことだ。この人たちの収入は驚くほど低い。一日数ドル。イチゴの末端価格から逆算すると、どっかで誰かががっぽり儲けているか、生産から小売りまでの歩留まりが低いかどっちかだ。答えはその両方。


コスト構造をイチゴ農園のオーナーに聞いてみると、人件費25%、種苗費20%、組合費が10%残りが利益とのこと。日本と一概には比較できないが、人件費率はかなり低く日本の半分。種苗費が意外と高く、もちろん暖房費はない。


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グリーンハウスからジャイナ教寺院を臨む(2013.03.22岩佐撮影)


グリーンハウスからはジャイナ教の寺院が見える。ジャイナ教の寺院にいる教組は下半身を露出しているらしく、僕らはこれをちんちん寺と呼んでいる。一度教組に会いに行ったことがあるがあいにく不在だった。



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11月下旬に行われた定植作業に村の皆さんをお招きし、駐在員のGRA鶴巻が身振り手振りを交えながら指導した。収穫の春を祈りながらの作業。鶴巻は2013年3月15日で任期を終え、帰国した。彼の仕事はエクセレント。圃場に入って一発でわかる。整然と整理されており、無駄なものは一切ない。鶴巻でなくては、この第一タームは乗り切れなかったと確信した。お疲れ様でした。


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古いジェネレーター



このプロジェクトでGRAは施設の設計、建設、栽培など営農に関わる部分を担当している。それこそプロダクトの部分なので失敗したらすべての計画が台無しになる。インドの電力は不安定で、一日に何度も停電し、長時間の計画停電もある。電気の安定供給は生命線。2011年の東日本大震災でも、電力が来ないために沢山の作物が凍え飢えた。インドではそれに対応するためにジェネレーターが必要だった。最初にオーダーして届いたのが上の写真。冷戦前の代物じゃないかこれは。これでもないよりは随分ましで新しいジェネレーターがくるまでの繋ぎ以上の役割を果たしてくれた。


new generator
新しいジェネレーター


それにしても、本当に収穫できるのか・・・・。実がなるまで誰もわからん・・・・。理屈で攻めるしかない。


次号に続く





GRA、インドもイチゴ!?(1)

久しぶりのブログ。facebookを使い始めてからほとんど使ってなかったけれど、ブログのストック感は捨てがたい。

何回かに分けてGRAのインドでの取り組みを紹介する。最初にGRA Incの紹介。
GRAは宮城県山元町で先端施設園芸を展開している農業法人だ。2011年の東日本大震災以降に設立された農業法人。国内有数の規模。最近ではマスコミ等での露出も多い。
http://www.gra-inc.jp

最近取材に来られた、記者の方数名になぜ取材にこられたかを聞いてみると、

1.スピード感―設立から1年ちょっととは思えない。
2.先端性―ICT×農業という切り口が面白い。
3.投資額―農業の初期投資に5億も投資したのはなぜ。
4.岩佐のキャリア―なぜITから農業に。

最近では政府広報室から「MADE IN NEW JAPAN」として、フィナンシャルタイムズ、ウォールストリートジャーナル、ジャパンタイムズおよび政府のWEBサイトを通じて紹介いただいた。
http://mnj.gov-online.go.jp/

こんな素敵な動画も。



随分前置きが長くなったが、いよいよインドの話。何故GRAがインドに進出したか。理由は3つ。シンプル。
1.既にイチゴの顕在マーケットがあり、予想される潜在規模が超巨大。魅力的な市場。
2.インドのソーシャルイシュー(農村の貧困・男女雇用格差の問題)にダイレクト。
3.山元町および日本の園芸技術およびイチゴがグローバルで通用し、競争力のあるビジネスになりうることを出て行って示したい(これが一番)。


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PUNE市のホテルから (2013.3.20 岩佐撮影)

2012年の11月にマハーラシュトラ州のプネ市近郊に約10aの密閉型温室を建設し、イチゴを定植した。2013年の3月に初収穫を迎えようとしている。プネ市はインド最大の商業都市ムンバイから車で3時間。美しい町。プネー自体が500万人の人口を抱え、ムンバイまでは170キロと近い。日本型イチゴのような軟弱果実は地産地消が基本。特にインドのように道路事情が悪く、コールドチェーンがとぎれとぎれの国は尚更。妥協して硬い果実のオールシーズンストロベリーなど創ったらおもろない。僕らはICHIGOで勝負だ。


インド実験圃場
建設中の圃場(2012.11.15 村上さん撮影)

10月~3月までが涼しく過ごしやすい。4月~6月は灼熱、7月~9月は常に曇天か雨。灼熱にどう耐えるかもそうだけど、細切れに気候が変わるので難易度が高い。未知の病害虫リスクはいわずもがな。


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建設中の圃場内部(2012.11.15 高山さん撮影)


グリーンハウスおよび栽培システムは岩佐が仕様を考え、ハウスは地元の業者に施工を委託した。栽培システムは僕も含めて日本人×インド人のICHIGOチーム全員で組み立てた。土地の造成は完全にローカルにお任せしたが、これは失敗。その場しのぎ感たっぷりの造成工事でのちに全面改良が必要になった。


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(夜の圃場 2012.11.15 岩佐撮影)


はっきり言って、このハウス、ある部分は山元町のハウス以上の重装備。気候条件が予想の範囲内に収まれば、理論上はインドの過酷な環境を耐え、収穫の春を迎えられる!はず。


次号に続く。

GRA、インドでイチゴ作りをはじめる(2)











2012年を振り返る。

振り返るといろいろありました。
反省の枠組みは二つだけ。

一つ目はもちろんもちろん「Planned Happenstance Theory」。
http://zunouiwa.blog38.fc2.com/blog-category-1.html#entry235
1.好奇心[Curiosity]
2.持続性[Persistence]
3.柔軟性[Flexibility]
4.楽観性[Optimism]
5.冒険心[Risk Taking]

2つ目はGRA WAY
「実行実現」:Without action, nothing happens.
「価値共創」:多くを巻き込み偶発的必然を起こす。
「自利利他」:尽くして求めず、尽くされて忘れず。
「電光石火」:早く速く流やく。同じ波は二度と来ない。

以上を簡単にまとめると
「今年もあなたはドキドキワクワク甘酸っぱかったですか?!」
間違いなく、今年もYES!

今年も多くの方と出会い、支えられながら一緒にいろんなものを創ることができました。笑顔と仲間。これに尽きます。

空で思い出せることをいくつか書いてみます。

■1月に設立した農業法人GRA。副代表の橋元洋平、橋元忠嗣との出会い。二人と出会えたことに心から感謝。特に洋平ちゃんとの出会いは大きく、彼は最高のパートナーだ。投資は今年だけで5億円以上。海外もインド、来年は中東へ。被災地の山元町からグローバル企業を出す。そしてそれが当たり前の流れになる。久しぶりにファイナンス的にも億単位の大きなリスクをとった。来年のQ1までに大きな仕掛けを2つ3つ打ってある。楽しみだ。
GRA牛橋農場


■5月、グロービス経営大学院を修了した。卒業生代表スピーチの栄誉もいただいた。思い返せば自分は学校教育にコミットしたことはこれまでなかった・・。高校はサボりすぎて出席日数が足りず3年生の春休みに補講を受けて何とか卒業させてもらった。なんとなく入った大学はテストと代返だけで卒業。受験勉強も含めて、決められたカリキュラムでまともに勉強したことはなかったけど、このグロービスという学校は凄かった。僕は初めて教育の力と魅力に震え上がった。GRAで子供たちと向き合いたいと最初に思ったのも教育の力を心から信じることができたからだ。
http://mba.globis.ac.jp/student/topics/detail-2079.html



■KIBOW。山元町と東京で2度開催。ここでも多くの出会いがあった。東京でパネルをした東さんと、司会をしてくれた林君はいまや政界の人。大いに活躍してほしい。KIBOWのいいところは様々な視座と視点が一堂に会するところ。極めて刺激的な場所だ。これは何と言ってもKIBOWの堀さん、そして事務局長の梶谷さんに感謝だ。
KIBOW-GRA山元 in 東京


■インド。今年の出張日数はおそらく軽く1か月を超えるのではないか。デリー、バンガロール、プネー、ムンバイなどをグルグル。インドはとにかくすごい国だ。ただし、どこがすごいか本当はよくわからない・・・。にじみ出る味わいとしか言いようがない。プネーの近郊に、植物工場を建設しイチゴを定植した。インド人チームとのハウス建設作業は忘れられないものになった。GRAから鶴巻が駐在し、管理している。来年3月には最高のイチゴが収穫できるだろう。バンガロールのITリーダー企業はとにかく凄かった。そして、視察訪れた農村も素晴らしかった。ここに園芸を広めることに武者震いした。農村で牛車にのってそれが脱輪し、死ぬかと思った。生と死は常に隣りあわせだ。(このタイミングで牛車の下敷きで死にたくはない。もう二度とあれには乗らないだろう・・・)
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■大学院のベンチャーストラテジーというクラスがきっかけで事業構想を練り、根気よく続けてきた三谷さんとのイチゴコスメPJ。秋に法人化し、来年1月に商品をローンチ。IMBA(英語のクラス)だったのでコミュニケーションにハードルがあったのと、そもそもコスメのビジネス創りが難しく評価も散々だった。が、あのクラスで本当に商品をつくって法人化して事業をスタートしたのは間違いなく僕らだけだろう。来春にはなべちゃんとずっと一緒に創ってきたイチゴコスメもGRAからローンチ。


■MIGAKI-ICHIGOのローンチ。山元町の新ブランドミガキイチゴ。GRA-NPOのMIGAKIメンバーとコツコツ作ってきたブランド。12月に山元町のイチゴの収穫を待ってデビュー。西のあまおう、東のミガキイチゴ。そして世界のミガキイチゴになる。大切に育てていきたい。このブランドは栽培および選果基準がものすごく厳しいけれど、山元町の農家さんであれば、だれでもジョインできる。そして山元町で新規にイチゴを創りたい人は大歓迎だ。全力でサポートする。


■岩佐とGRAが大学院のケースに。その名も『岩佐大輝とGRA』。ソーシャルベンチャー系のクラスでグロービスの仙台校から順次導入されるとのこと。ケースは私の少年期~NPO設立~農業法人設立の2012年秋ごろまでが記載されている。ソーシャルベンチャーを目指す方の一助になれば幸甚。ケースにしていただいた僕らも気合いが入る。ケースは、B,Cと続くのだが、超ハッピーエンドで迎えたい。


■GRA NPOのプロボノマネジメント。私も含めて無給のメンバーだけで構成されている組織にサステイナビリティを持たせるのは、これは至難の業。これは自分にとって極めてしんどく、挑戦の毎日だった。このシステムに磨きをかけたい。自分の時間の5%を自分のプロフェッショナルの分野で社会貢献に使えば、それだけで日本のGDPは5%上がる。無給であるがゆえに難しさもあるが、逆に無理なファンドレイジングをする必要もない。そして、各自は自分のやりたい分野「プロフェッショナル」で勝負できる。諦めるつもりはない。


■文具のPLUSと組んでスタートした「PLUS×GRAこころざし教育」。グロービスの仲間、羊一さんの全面支援のもとリーダーの福島が奮闘してくれた。PLUS×GRAこころざし教育は来年からは山元町のすべての中学生に展開されるまでになった。コンテンツ、デリバリー共にまだまだ発展途上だけれども、メンバーの顔をみただけで凄いポテンシャルが秘められていることがわかる。5年後には、「なぜ山元町から志あふれる若いリーダーが輩出されるのか?」答えはもちろん、「PLUS×GRAこころざし教育があったから」。確実にそうなる。


■グロービス仙台校。故郷に経営大学院ができるなど夢にも思わなかった。堀さんのアントレプレナーシップに心から感謝。仙台校開校以来、メンターを務めさせていただいたが、メンターと学生という枠組みを超えた時間を受講生の皆さんとご一緒することができた。今では一緒にプロジェクトを起こしたり、ビジネスパートナーとしてお付き合いさせていただくまでになった。感謝。


■TEDxTohoku。随分緊張した。普通のプレゼンテーションだと思って、気軽にお受けしたのだけれども、半端じゃなかった。持っていったプレゼンは、TEDのチームに徹底的にそぎ落とされ、つまらない話は「くどいっすねぇ」とバッタバッタカットされた。最後はもうこれは自分のプレゼンか?!と思うほど内容がガラッと変わった。それが本番前日の夜中10時。自分のプレゼンを直接的にパワポをいじりながら磨き上げていくという体験はとてもよかった。TEDの登壇は無報酬と決められているのだけど、自分にとっては金に換えられない価値があった。僕を担当してくれた勝部さんに感謝。彼は来年から僕のアシスタントとして縦横無尽に動いてもらうことになった。


■ズノウ社員の奮闘。震災以来、僕は東京のズノウに多くの時間を投じることが難しくなった。リーマン以降、構造的に厳しい業界でさて、どうしたものかと思っていたが、一人一人の社員が主体性をもって事に取り組んでくれた。そして僕の復興支援活動を心から応援してくれた。彼らの心意気たるや、もう泣くしかない。ありがとう。結局、億単位を調達した農業法人の起業もズノウが無ければ、おそらく1円も調達できなかった。


来年はもっともっとスピードをあげていこう。今年、一緒に時間を過ごした皆さんに感謝!
それでは、よいお年を。









アムステルダム~TEDxTohoku

アムステルダムのホーティーフェア、パリ、GRA大阪車座の会、インドのプネー、バンガロール。後半戦はTEDxTohoku、そして七夕会議。久しぶりに休日なしの一か月だったが大変心地よかった。やっぱ、動き回るといろんなことが起きる。これからの日本の農業×IT×グローバルを支えるキーマンの方々との出会いがあった。

まさに、「Planned Happenstance Theory」計画的偶発性理論。昔書いたブログの記事を読み返してみた。
http://zunouiwa.blog38.fc2.com/blog-entry-235.html

勇気をもって一歩踏み出すことでいろいろなことが起きる。で、これが飛躍して先日TEDxTohokuでスピーチした「甘酸っぱい」にたどりついた。(スピーチはひと月位で英訳された後、Youtubeなどで見られるようになるハズ。)

さて、そのTEDx。10分程度のスピーチなのだが、その準備に何十時間も投じたような気がする。自分自身と向き合える大変素晴らしい機会だった。

スピーカーにはTEDxサイドから担当者をつけてもらえるのだが、その担当者がメンターとして本番までエンカレッジしてくれる。彼との対話の中で自分一人では絶対に気付きえないアイデアや自己理解を得た。そして出来たプレゼンで本番前日の夜にリハーサルを行い動きをチェック。で、実はそのリハーサルの後からが準備本番だった。TEDxの匠のような熟練の担当者の方ともう一度隅々までチェックし、中身を磨き上げていく。結果的に、僕の場合は当日の朝ぎりぎりまで調整した。本番は動画のアップをお楽しみに・・・。
※TEDxのスピーカーにお呼びがかかったら、万難排して出るべき!

さて、そろそろ師走。ギアを一段上げてスピードアップの準備をしよう。


アムス農業視察、ついでにパリ。

オランダ、ホーティーフェア(農業見本市)と大規模園芸施設を視察。細かくは別に共有したいと思うが、その国なりの戦略があり、そして農業政策がある。オランダもその一つ。日本と比較して、技術的なことは一長一短。大きな違いは、国家戦略の一気通貫性にあり。

それよりも何よりも、今回の視察は山元町出身者の先輩2名と新しい出会いがあったこと。皆さんそろって、僕が震災直後に現地に乗り込んで書いたブログなどを頼りに家族を探していたとの話を聞き、ネットでつながった思わぬ縁に感謝し、そして当時を思い出した。彼らは山元町から出ていったまさに「グローバルリーダー」そのものだった。偉大な先輩諸氏に大いに刺激をもらう。PLUS-GRA塾で輩出したいモデルのような方々だった。

そして、経産省のゲッシー、浅井農園の浅井さん、マイティー千葉重の千葉さんとの思わぬ再会にびっくり。リサイクルワンの本田さんともニアミスだったけど、電話でお話しできた。こちらも大変なご縁を感じる。これからのグローバル日本の農業を支えていくであろう御仁たちであった。



トランジットでショートステイしたパリは、弾丸だったけど凱旋門からの眺めとオランダのようにパサパサしていない料理だけでも寄った甲斐があった。

そして、GRA取締役の橋元と一緒に視察できたことは今後の財産。土曜日からのインドに備えて、今週も一生懸命働くことにする。インドはいよいよハウスが完成する!



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プロフィール

岩佐大輝

Author:岩佐大輝

1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。 詳細はこちら≫

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